『エセー』を通読するのが困難ならば、先ずは第3巻から読むとよい、ということは、よく言われるアドバイスである。円熟した筆が想念の赴くまま、自由に流れていくようである。
だが、モンテーニュはどこを読んでも楽しい。たとえ第3巻から入ったとしても、それだけで終りにするのはもったいない。古典古代、大航海、宗教改革の知識が必要であるからと敬遠するには及ばない。そんなことはモンテーニュに学べばよいのである。
第3章「三つの交際について」より。
わたしが書物から引き出すところの成果とは、ひたすら、この真実きわまりない格言を、身をもって経験し、これを実践するところにある。わたしは、実際には書物をほとんど利用することがないから、この点では、書物を知らない人々と大差ない。その代わり、享受する段になると、まるでけちんぼうが財産を愛でるがごとく、書物をじっくりと味わう。いつでも好きなときに享受できるとわかっているから、書物を持っているという、この所有権だけですっかり満足しきっているのだ。(p.89)
この後、モンテーニュの屋敷にある塔の記述が続く。その3階に蔵書を収め、書斎としていたのである。
訳者の宮下志朗は、この屋敷を訪れたことがあるという。『エセー2』の巻末に、小旅行記が付されている。一般の観光客が行くところではないらしく(宮下はモンテーニュ研究者と間違われた)、便は極めて悪い。
第4章「気持ちを転じることについて」より。
また、哲学が命じている、さまざまな方法を採用することもしなかった。要するに、クレアンテスのように、「われわれが嘆くのは、悪ではない」とか、〔中略〕キケロのように、「こうしたすべての理屈を集めて、重みのあるものとなし、これを臨機応変に用いる」といったやり方はとらなかったのだ。むしろ、ゆっくりと話題の方向を変えていって、徐々に、隣接する話題へと、話をそらせ、それから、彼女がこちらにどのような反応を見せるのかをうかがいながら、知らぬ間にいつしか、あの辛い思いを取り除いてやって、少なくともわたしが彼女といる間は、顔色もよく、すっかり安堵した気持ちにしてやることができた。(p.98-99)
ちょうどプルタルコスの慰めの手紙を読んでいるところであるし、セネカの慰めの書も翻訳で読んだばかりである。こういうものは、大抵、死とか不幸とかは悪ではないということを理性に訴えるものであり(プルタルコスは、死ほどありふれた自然な事柄を嘆く理由が分からないという)、気持ちを紛らわせるなどということは、一時の便法ではあっても根本的な解決にはならないと退けるのである。
モンテーニュも文章で書いたならばもう少し無慈悲な哲学的な物言いをしたのかもしれないが、実際的な行動においては、実際家であったのである。プルタルコスだって、親友が息子を亡くした直後に彼を励ますのは、時宜を得ないことだと承知していた。手紙はしばらく経ってから書かれたものである。
同章より。
その昔、わたしは、自分の性格もあって、なんとも強烈な悲しみに襲われたことがある。それは強烈なという以上に、当然至極の悲しみであった。あのとき、自分の力だけを当てにしていたならば、たぶん、完全に打ちのめされていたであろう。けれど、その悲しみをまぎらすために、猛烈な気分転換を必要としたので、わざと意図的に、漁色にふけった。(p.106)
しかしながら、モンテーニュはプルタルコスよりもはるかに実際家だったようである。
刎頸の友ラ・ボエシの死を、理性によって乗り越えようとはしなかった。「戦うのが無理ならば、逃げるのがわたしの流儀だ」。
第5章「ウェルギリウスの詩句について」より。
さりとて、プルタルコスを手放すのは、とてもむずかしくてできそうにない。プルタルコスは全知の人で、とても充実しているために、いかなる場合にも、どれほど異常な主題を扱った場合でも、われわれの作業に加わってくれて、無尽蔵の富と潤色のネタをたずさえて、気前よく手を差し伸べてくれるのだ。プルタルコスが、その著作を読む連中による剽窃という危険にまともにさらされていることが、わたしは腹立たしい。もっとも、このわたしだって、プルタルコスのところを、ほんの少しだけ再訪したときでも、彼からもも肉や手羽先を失敬して帰るわけなのではあるが。(p.179-80)
さて、宮下訳の『エセー』も、残すところあと1冊となった。