本の覚書

本と語学のはなし

【モンテーニュ】破滅するしかなかった【エセー2.4】

Nous autres ignorans estions perdus, si ce livre ne nous eust relevez du bourbier: (p.363-4)

もしもこの書物が、われわれを泥沼から引き上げてくれなかったなら、われわれのごとき無知な人間は、破滅するしかなかったにちがいない。(p.76)

 モンテーニュ『エセー』第2巻第4章「用事は明日に」を読了する。
 プルタルコスを訳したアミヨへの讃辞から、この章は始まる。アミヨはなにもモンテーニュを通じてのみ現代に生きているわけではなくて、古典学の世界では今でもその訳業に言及されることがしばしばある。偉大な学者なのである(彼は学者という肩書きしか持っていないわけではないが)。
 アミヨが「時宜にかなった書物を選んで、祖国へのプレゼントとしてくれたこと」に感謝しつつ、モンテーニュは、プルタルコスなしには「破滅していたかもしれない」とまで考えるのである。


 ところが、それに続けて、たった今読んだばかりのプルタルコスの判断について、少しばかり異議を唱えている。
 だが、これこそはプルタルコスが泥沼から救ったことの確かな証拠であるのかもしれない。どこかの禅僧が言っていたことだけれど、見解が師と同じようでは、師の半徳を減じるものであるということだ。


 モンテーニュは、プルタルコスの文章について、「あれほどに面倒で、むずかしい著作」と言っている。どこかでそんな話を聞いたか読んだかしたのかもしれない。友人のラ・ボエシも倫理論集の小編を翻訳している。
 あるいは、自分で原文を読んでみたか、読もうとしてみたことがあったのかもしれない。「こっちはギリシア語が皆目わからないときているのだから」とは本人の証言だが、宮下志朗に言わせれば、「謙遜であり、実際はかなり読めたと思われる」のである。