本の覚書

本と語学のはなし

【モンテーニュ】真実よりむしろ忍耐を試す【エセー2.5】

C'est une dangereuse invention que celle des gehenes, et semble que ce soit plustost un essay de patience que de vérité. (p.368)

拷問というのは、危険な発明であって、真実を試すというより、むしろ、忍耐を試すものであるかに思われる。(p.84)

 モンテーニュ『エセー』第2巻第5章「良心について」を読了する。
 罪を犯す者は、その行為と同時に、既に断罪されている。それがどこまで真実かは分からないが、モンテーニュは良心の咎めをかなり普遍的なものとして信じていたようではある。
 拷問については否定的である。関根訳の注によれば、この時分、裁判と拷問は不可分であったのであり、フランスで拷問が廃止されるのはようやく1780年に至ってからのことだという。その上で、自身法務に携わったモンテーニュの、職業ずれのしない良心を讃えている。
 もちろん、モンテーニュが史上初めての拷問廃止論者であったのではない。この辺の理屈は、アウグスティヌスの『神の国』やその注釈に負うところが多いようである。


 「拷問」という意味で使われている gehene (géhenne) という単語は、聖書に出てくる言葉だ。モレク神への幼児犠牲が行われたベン・ヒノムの谷に由来し、「地獄」を表すようになった。
 邦訳聖書では、「地獄」と訳されることもあれば、「ゲヘナ」と訳されることもある。たとえば、マルコによる福音書第9章第43節の新共同訳は「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい」であるが、聖書協会共同訳では「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨てなさい。両手がそろったままゲヘナの消えない火の中に落ちるよりは、片手になって命に入るほうがよい」となっている。


 人事考課の季節であるらしい。偉い人と面談した。
 採用面接の時と同じことをもう一度言われた。契約社員にならないかというのである。しかも現在の勤務時間を固定したままでよいという。
 だが、契約社員になってしまったら、そして2年後くらいに正社員になってしまったら、そんな口約束は簡単に反故にされてしまうだろう。
 今ですら最低限のことをこなすのに精一杯である。勤務時間が日ごとに変わるようなシフトに組み込まれたら、直ぐにも崩壊しそうな生活である。お金がないために崩壊するのにはまだ耐えられるだろうが、お金を求めて崩壊するとしたら馬鹿馬鹿しくてやっていられない。
 パートのままでよいと思うのである。