Pan etiam, Arcadia mecum si iudice certet,
Pan etiam Arcadia dicat se iudice victum.
アルカディアが審判になり、パーンが私と競うとしても、
アルカディアが審判でも、そのパーンさえ、自分の負けだと言うだろう。
ウェルギリウス『牧歌』第4歌の終わり付近、58行と59行である。
同じ言葉がこれほど繰り返されるのも珍しいので、書き抜いてみた。
「いささか偉大なることを歌おう」と始まるこの歌は、牧人の世界を抜け出し、来たるべき幼子の治世に黄金時代が現出するであろうことを予言する。
この幼子が誰か、説は色々とある。真相は分からないが、この詩が捧げられたポリオの子であるというのが一般的な答えのようである。他にはオクタウィアヌスの子であるとか、アントニウスとオクタウィア(オクタウィアヌスの妹)との間の子であるとか、平和の擬人化であるとかいうのもある。この時、オクタウィアヌスとアントニウスの間に、ブルンディシウムの協定が結ばれたのである。
この交渉に当たったのは、オクタウィアヌスの側からはマエケナス、アントニウスの側からはポリオであった。両者ともウェルギリウスの保護者となった人である。
今一つ、イザヤ書との類似から、キリストの誕生を予言したものだという解釈もある。ありそうもない話ではあるが、このことが第4歌を『牧歌』中で最も有名な詩に祭り上げた。
引用部分について。
パーンはアルカディアを故郷とする牧神。そのパーンでさえも、地元を審判に立てたとしてさえ、幼子の偉業を歌わせたならば、自分にはとてもかなわないだろうよ、と詩人はうそぶくのである。
この2行はいずれも7つの単語からなっているが、その内4つが語形も位置もまったく一緒である。実は、この後に続く4行でも、効果的に繰り返しが使われている。珍しくひどく高揚した楽天的な気分を表現しているように思われるのである。