本の覚書

本と語学のはなし

ヴェローナの二紳士/ウィリアム・シェイクスピア

 ここからは喜劇。たぶんシェイクスピアの喜劇はどれも一度は読んだことがある。
 喜劇の問題点と言えば、駄洒落が多くてどの程度原作が我々に届いているのかよく分からないところ。だが翻訳で読む以上は、訳者のセンスに付き合うしかない。


 例えば第3幕第1場。

スピード 「一つ、乳しぼりができる」
ランス うん、たしかにできる、あのオッパイなら。
スピード 「一つ、酒作りができる」
ランス だからあの子は花もつぼみの乙女ってわけだ、「酒作る人花ならつぼみ、今日もサケサケ、明日もサケ」
スピード 「一つ、仕立物ができる」
ランス ってことは下手に出りゃあものにできるってことだ。(p.94)


SPEED 'Imprimis. She can milk.'
LANCE Ay, that she can.
SPEED 'Item. She brews good ale.'
LANCE And thereof comes the proverb, ‘God’s blessing of your heart,
  you brew good ale.'
SPEED 'Item. She can sew.'
LANCE That's as much as to say, ‘Can she so?’

 最初の ‘milk’ について、オックスフォードの注には ‘perhaps Lance takes in a secondary sense, e.g. entice, drain (of money), or suckle’ と書いてある。下ネタかもしれないし、お金のことなのかもしれないというところだろうか。
 次の醸造に関しては、正直言って翻訳も原文も私にはよく分からない。
 三つ目の ‘sew’ は ‘so’ と韻を踏んで、駄洒落に一番近い。それを小田島訳まで拡張するのがいいのかどうか。
 スピードとランスのやりとりはまだ続くが、サンプルとしてはこの位でいいだろう。


 参考として、筑摩書房の全集の北川悌二訳を示しておく。

スピード 〔読む〕「ひとつ、乳しぼり可能」
ランス うん、そいつはできるんだ。
スピード 「一つ、よきビール醸造可能」
ランス だから「よきビールをつくる汝の魂に神の祝福を」ということわざが生まれたんだぞ。
スピード 「一つ、縫いもの可能」
ランス そいつは、「それができますかね?」ってぇくらいのもんさ。(p.133)

 「乳をしぼる (milk)」には「手練手管で誘惑する」の意味があると注に書いてある。