本の覚書

本と語学のはなし

コリオレーナス/ウィリアム・シェイクスピア

 暫くシェイクスピアは休んでいたが、これから再開する。
 最近、外国語学習計画を縮小するべきだろうと考え始めている。
 第一に、各言語に専門は一人のみとするべきではないか。英語でシェイクスピアを選択するなら、ジェイン・オースティンシャーロック・ホームズは諦める。少なくとも、原典で全部読もうとか、関連書籍を読み漁ろうと欲張ってはならない。同様に、フランス語はモンテーニュだけにしておいて、ラブレーに深入りはしない。
 第二に、言語の数を絞るべきではないか。忘れないためだけに読んでいるもの、それ故今後の進歩が望めないものは、休止の候補となる。例えばドイツ語とヘブライ語。ただ、こう書いた瞬間にまだ手放すのは惜しい気分になる。


 『コリオレーナス』の舞台はローマ。ジュリアス・シーザーアントニーよりはるか昔のこと。武人としては抜群の能力を発揮するが、民衆に対して頭を下げることが出来ないために追放され、敵方の大将となってローマに復讐しようとする男の悲劇である。
 貴族の側にも民衆の側にも、完全に肩入れすることは出来ない。それぞれの欠点が暴かれている。社会の中にいくらでもその変奏曲を見出すことのできる、恐ろしい話だ。