- 作者:上田 秋成
- 発売日: 1979/01/01
- メディア: 単行本
雨月物語
恐ろしい執着の物語集。解説によれば、実父を知らず、実母にも4歳の時に捨てられた秋成の、(慈愛に富んだ養父母がいたとはいえ)孤児としての生い立ちに、これらの物語を生み出す原点があったのではないかという。
ある寺の住職が美少年を愛し、彼が病死した後には、彼を愛するあまりその肉を骨までしゃぶって人肉の味を覚え、やがて鬼となって里に下り屍を喰らうという「青頭巾」などは、なかなか。
癇癖談
「くせものがたり」と読み慣わしている。人ごとに皆癖のあるもので、様々な癖のある人たちの境涯を短い物語に仕立ててつつ、世相を風刺する。
その筆は、最後に秋成自身をも俎上に上げる。
さればこのあるじは、もとみやこの人なるが、うまれつきてこころせばく、世をわたらむとすれば、おひかり*1のおそろしく、人はこころのひろきままに、あしきといふことも、いつはりも、世の害にだにならぬことは、たくまずしてなすままなるを、それらを、見聞くたびごとに、打ちもなげき、あるひは、いかりなどもしつつ、また、書よめば、むかしのみしのばしくて、今の世をうとみ、芸にあそべば、古き世の人は、上手も下手も、こころたかしとあふぎ、今のまなこのつけどころをさげしみて、楽しまぬにより、とし月をいたづらにくらすなり。よにあはれむべきものなり。
隠棲をした頃の、「世の人はみなにごれるものにする、こころ奢のひと」の感懐である。
古文の今後
途中『源氏物語』を何帖か挟んでいるとはいえ、読了までに4か月近くかかった。毎日数ページずつという初学者のような読み方は、そろそろ止めるべきではないかと思う。
年齢的なものなのか、特殊な生活ペースを強いる仕事の影響なのか、時間を細かく区切って幾つものことを並行して学ぶということが、ちょっと苦痛になってきた。1日につき、聖書の原典講読(旧約と新約を交互に)、海外文学の原典講読(英文と仏文を交互に)、そして和書の3つというのが限界であるようだ。
和書はキリスト教関連書籍のみ扱うつもりであったが、時々ここに日本の古典文学を挟んでみたらどうだろう。月に1冊、すらすら読むわけにいかないものならば半分に分けて、2か月に1冊。このくらいのペースが可能ならば、今までよりもずっと古文に親しめる。
*1:「負ひ借り」で借金のことか。