本の覚書

本と語学のはなし

振り返る4月

振り返る4月

 聖書とどう付き合うかというところで試行錯誤が続いている。そろそろ決着をつけなくてはいけない。

ヘブライ語聖書とギリシア語聖書

 旧約は「創世記」2章の途中まで。まだ数節のペース。
 新約は「マタイによる福音書」10章の途中まで。3分の1章から2分の1章くらいのペース。

 翻訳の参照も数が多いと負担になる。日本語訳はフランシスコ会訳、岩波聖書翻訳委員会訳、田川建三訳(新約)、外国語訳はNABREとエルサレム聖書のみにした。いずれも注釈が充実しているものである。
 七十人訳(旧約)、ヴルガータ訳、ルター訳は、語学的に気になるところや、印象深い文句などを部分的に見るだけにしておく。

Αἰτεῖτε καὶ δοθήσεται ὑμῖν, ζητεῖτε καὶ εὑρήσετε, κρούετε καὶ ἀνοιγήσεται ὑμῖν·

求めよ、さらば与へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。(マタ7:7、文語訳)

日本古典文学

 『源氏物語』の「松風」を終えたところで一旦休止したが、1週間も経たぬうちに復活させた。「薄雲」の途中。

米文学フランス文学

 ブローティガン『アメリカの鱒釣り』は読了せず。というか、半分くらいしか進んでいない。英文は語学学習のためにちまちま読むのはもうやめるべきだろう。普通の読書として扱えばよい。
 仏文の方は、相変わらずスタンダール『赤と黒』。

和書

 マクグラスキリスト教神学入門』を一気に通読しようとしたが失敗。数ページずつ読みながら、残り少なくなったらもう一度スパートをかけよう。

 フランシスコ会訳は中断を繰り返す。原典講読もしているし、職場でも新共同訳を読んでいるから、モチベーションが維持できないのだ。しかし、前者はまだ十分なペースではないし、後者は細かいことまで気にしていられない。
 岩波聖書翻訳委員会訳の分冊ならば、適度に読了の達成感を味わえるだろう。聖書も普通の読書として扱う方がよさそうだ。

 村松剛『教養としてのキリスト教』はリハビリのために。これからまた本の虫になりたい。

職場の読書

 『古今和歌集』巻9羈旅歌の途中まで。一旦休止したが、『源氏物語』同様すぐに復活させた。

むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな (離別)

 貫之の名歌。彼の辞世とされる歌も、同じく水をすくうモチーフを扱っている。

手にむすぶ水にやどれる月影のあるかなきかの世にこそありけれ (拾遺集・哀傷)

 新共同訳は、旧約は「民数記」の途中、新約は「マタイによる福音書」読了。