- 作者:笠原 義久
- 発売日: 2013/06/24
- メディア: 単行本
『教師の友』(日本キリスト教団出版局)という教会学校教師のための雑誌に連載されたものだから、入門とは言ってもキリスト教の基本を一から教えてくれるような本ではない。新約聖書入門というよりは、新約聖書「学」入門とする方が正確かもしれない。
聖書の原典講読を目標に設定してから、ふたたびキリスト教を学び始めた。学生時代にわずかな期間属したカトリック教会について知るためである。
これからは聖書学を学びたい。カトリックからは距離を置く。しかし、カトリックであるという意識は捨てないだろう。プロテスタントに転向するほどのパワーもないが、教会から全く切り離されて聖書に学問的に向き合えば、おそらく政治的な意図ばかりが強調されて浮かび上がってくる。それはあまり意味のあることとは思えない。
本文批判の必要性
さて、本文批判から少し引用しておく。
表紙に使われているアンシャル(大文字)写本は、ローマ書9章5節のもの。省略記号も使われているようだが、私に見えるとおりに文字を再現すると次のようになる。
ΩΝΟΙΠΑΤΕΡΕΣΚΑΙ
ΕΞΩΝΟΧΣΤΟΚΑΤΑ
ΣΑΡΚΑΟΩΝΕΠΙΠΑ
ΤΩΝΘΣΕΥΛΟΓΗΤΟ
ΕΙΣΤΟΥΣΑΙΩΝΑΣΑ
ΜΗΝ
この部分をネストレ28版では、次のように読んでいる。
ὧν οἱ πατὲρες καὶ ἐξ ὧν ὁ Χριστὸς τὸ κατὰ σάκρα, ὁ ὢν ἐπὶ πάντων θεὸς εὐλογητὸς εἰς τοὺς αἰῶνας, ἀμήν.
新共同訳の底本もこれと同じ読みをしている。その訳はこうである。
先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。
ところが、口語訳の当時のネストレでは別の読みを採用していた。といっても、コンマがセミコロンになっていただけである。
ὧν οἱ πατὲρες καὶ ἐξ ὧν ὁ Χριστὸς τὸ κατὰ σάκρα; ὁ ὢν ἐπὶ πάντων θεὸς εὐλογητὸς εἰς τοὺς αἰῶνας, ἀμήν.
口語訳は次の通り。
また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。
果たしてパウロはキリストを神と呼んでいたのだろうか。コンマにすればキリストと神は同格(文法的に)と捉えうるが、セミコロンにしてしまえばそこで一旦文に休止符が打たれ、単にキリストに代えて神の詠唱を続けただけとなる。笠原は昔の読みの方を支持している。
ちなみに、フランシスコ会訳の底本は新共同訳と同じなので、「万物の上におられる神であるキリストは、永遠にたたえられますように。アーメン」となっている。
その上で注を付け、「万物の上におられる神は、永遠にたたえられますように。アーメン」と訳すことがテキストの句切り方によっては可能であり、パウロが一度もキリストを神と呼んでいる例がないことから、それを支持する学者も多いことを指摘している。