本の覚書

本と語学のはなし

ダ・ヴィンチ・コード(中)/ダン・ブラウン

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

【注意】
ダ・ヴィンチ・コード』をこれから読む予定の人は、以下の記事を決して読まないでください。


 イギリスの宗教史学者ティービングを巻き込んでからの薀蓄がまた面白くなってくる。いよいよ、聖杯とは具体的にはマグダラのマリアのことであり、フランスにのがれた彼女から今に至るまで世々に守られてきたイエスとマリアの血統であることが主張される。

 もし真実だとすればキリスト教カトリックのみならず、プロテスタントにとっても)を根幹から揺るがすことではある。しかし、仮説には幾重にも難点がある。
 第一にイエスマグダラのマリアは夫婦であったのか。当時のユダヤ教社会にあって、指導的立場にある男性に配偶者がいないことはおよそ考えられることではなく、配偶者がいないならその特異な立場を説明する言葉が聖書になければならないという。また、外典福音書ではイエスとマリアの関係がペテロらの嫉妬を掻き立てる様が描かれているという。果たしてマリアが正典で娼婦に貶められたのは何かの陰謀で、外典の主張を歴史的真実と信じるべきであろうか。
 第二にイエス処刑時にマリアは身重であったのか。その後フランスに逃れ、そこにかくまわれたのか。男女同権論者のイエスに対し、教団に男性原理を持ち込んだペテロらによって、マリアは追放されなくてはならなかったという。あまりに図式的寓話のようにみえないだろうか。果たしてペテロらは何を信じていたのか。単に政治的な意図しか持っていなかったのだろうか。
 第三にイエスとマリアの子孫はやがてフランスでメロヴィング朝を打ち立てたのか。これに関しては『ダ・ヴィンチ・コード』ではあっさり「事実」として語られるだけで、それ以上の薀蓄は披露されていない。
 第四にメロヴィング朝の血を引くゴドフロワ・ド・ブイヨンは、シオン修道会をイエスとマリアの血統を守る秘密結社として立ち上げたのか。
 第五にシオン修道会テンプル騎士団を組織し、エルサレムの神殿で聖杯の主張を裏付ける文書を発見したのか。
 第六に今でもシオン修道会(歴代総長にダ・ヴィンチユーゴーコクトーらが名を連ねるという)はマグダラのマリアの墓、聖杯文書、そしてイエスとマリアの血統を守り続けているのか。聖婚(ヒエロス・ガモス)として儀式化されているらしい血脈の保存は、今なお笑わずに遂行できるものなのだろうか。
 第七になぜその「事実」が今に至るまで公開されないのか。


 異教的要素がマグダラのマリアに結び付いて異端的なセクトを形成し、その神学的主張が歴史的真実と信じられイエスの生涯と正統教会の正統性とが解釈し直された。そう考えるのが一番自然ではないかという気がする。我々は正典の成立に批判的であると同様に、外典の成立にも批判的であらねばならない。
 しかし、マグダラのマリアが何者であるのかはやはり謎であり、イエスとの関係もまた謎である。そのことは中世以降の聖杯伝説とは切り離して考えてみる必要があるのではないか。