本の覚書

本と語学のはなし

一点一画も消え去ることはない

はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。

 これはマタイ第五章第十八節からの引用。イエスは律法を廃止するためではなく、完成するために来たのだという宣言に続く言葉である。

ἀμὴν γὰρ λέγω ὑμῖν· ἕως ἂν παρέλθῃ ὁ οὐρανὸς καὶ ἡ γῆ, ἰῶτα ἓν ἢ μία κεραία οὐ μὴ παρέλθῃ ἀπὸ τοῦ νόμου, ἕως ἂν πάντα γένηται.

 「一点一画」は原文だと「イオータひとつ、角ひとつ」のことである。
 イオータというのはギリシア文字の「ι」である。聖書が書かれた当時は大文字しかなかったから、大文字で記せば「Ι」である。ローマ字の「i」とか「I」のことだ。しかし、ここではヘブライ文字のユッド「י」を指すらしい。神を表すエロヒム「אֱלֹהִים 」に現れる例を見ても分かる通り、大変小さな点のような文字である(文字の上下に付けられている母音記号はもっと小さいけれど、これは後世の発明である)。
 角というのは、『新約聖書ギリシア語小辞典』の説明によれば、ダレト「ד」とレーシュ「ר」のように、よく似てはいるけど角があるか否かで区別される文字に関する言及のようだ。ダレトから角が失われればレーシュになってしまう。
 つまりイエスは、律法においては最も小さな一文字すら失われることはなく、ある文字の角が失われて別の文字へ変容することすらないと言うのである。天地が消えうせるまでのことではあるが。

 フランス語訳(結局参照している)が面白かったので紹介しておく。

Car, en vérité je vous le déclare, avant que ne passent le ciel et la terre, pas un i, pas un point sur l’i ne passera de la loi, que tout ne soit arrivé.

 律法からは「i」も「i」の上に乗っかっている点すらも失われはしないのだ。