本の覚書

本と語学のはなし

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 犬養孝『万葉の人びと』。懐かしい。中学の時、初めて『万葉集』に触れたのが、このやさしい語り口調の本でだった。当時は古典文法を知らなかったけど、それでもおぼろに知る古語とはまた別の響きに、不思議と郷愁を覚えた。
 一番好きだったのは
   石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも(巻8-1418)
という志貴皇子の歌。歌は心の音楽であるという例として、第一回目の講義の冒頭に紹介されている。
 その次に置かれているのが、藤原鎌足の素朴な歌で、これもよく記憶している。
   吾はもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人の 得難(えかて)にすとふ 安見児得たり(巻2-95)
 采女天皇に属し、臣下がこれと恋愛するなどということは普通できないのであったけれど、鎌足はこの「安見ちゃん」を妻にすることが許された。恋歌であると同時に、権力を手にした誇らかな気分があふれている。彼の子孫が後に歌った
   この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思へば
に較べてみてほしい。

万葉の人びと (新潮文庫)

万葉の人びと (新潮文庫)

  • 作者:犬養 孝
  • 発売日: 1981/12/25
  • メディア: 文庫


 ところで、「得難にすとふ」の「得難」の部分は、文字通り得難いことを表すのだとずっと思っていた。原文でも「得難尓為云」とあるから、当時の人もそんな気分を持っていたのかもしれない。が、本当のところは、「かて」は可能を表す補助動詞「かつ」(下二段活用)の未然形で、否定を表すのは次の「に」であった。これは助動詞「ず」の古い連用形である(ずっと助詞と勘違いしていた)。それが思うという意味の「す」に接続し、「といふ」の約まった「とふ」が最後に来る。*1こういう文法的な説明は、この本では一切ないと思うけど、そのために却って音の響きに集中することができたのかもしれない。
 新潮文庫の『万葉のいぶき』と『万葉十二カ月』(たぶん中学の時に持っていた)、それから万葉の風土の中から味わうことをテーマとした『万葉の旅』全三巻(以前は現代教養文庫に収められていたが、現在は平凡社ライブラリーから新装版が出ている)は入手しておきたい。