本の覚書

本と語学のはなし

空の青さをみつめていると/谷川俊太郎


 学生時代の友人F君は、同時代の人の中では柄谷行人高橋源一郎谷川俊太郎に傾倒していた。それで、ある時谷川の詩集を貸してくれたのだけど、それまで誰とも文学的な趣味を共有したことがなかったから、他人から本を薦められるのは不得手であった。それに、中学時代はランボー、高校時代は中原中也に夢中になったことはあったけれど、それより新しいものに対する感度は全く欠如していて、詩といえば漢詩ではないかと反射するほどに古いものへの愛着が激しかったから、コカ・コーラを詠うなどとは怪しからんとしか思えなかったのである。再三説得はされたけど、読まずに返してしまった。


 どのくらい前だか、Iさんに本の読み方、つまり本に線を引いたり書き込みをするか、付箋を貼るか、メモを取るかとか、そんなことを質問したことがあった。それに対する回答として、谷川の詩集が送られてきた。通勤電車で読書することが多いため、フィルムタイプの付箋をまとめて見返しに貼っておき、それを一枚ずつ剥がして気になる部分に貼り直すのだというのを、実物で見せてくれたのである。確か、谷川はそれほど好きではないのだけど、という断りがついていたと思う。Iさんは岸田衿子を敬愛する人で、岸田はわずかな期間だが、谷川と婚姻関係にあった。
 今回私が読んだのは、Iさんから頂いた本である。付箋もブックカバーも送られた当時のままで、何も足さず何も引かなかった。


 Iさんが付箋をつけた詩の中から一篇を書き抜いておく。

   問いと答


 互いに互いの問いとなり
 決して答にはゆきつけぬまま
 やがて私たちの言葉は
 ひとりひとりの心の井戸で溺れ死ぬ
 世界が問いである時
 答えるのは私だけ
 私が問いである時
 答えるのは世界だけ
 詩は遂に血に過ぎない
 寂寥のうちに星々はめぐり続け
 対話はただひとり私の中で
 いつまでも黙つたまま
 どうしようもなく熟してゆくだろう


 私はその次に置かれた詩も好ましいと思う。

   もし言葉が


 黙つていた方がいいのだ
 もし言葉が
 一つの小石の沈黙を
 忘れている位なら
 その沈黙の
 友情と敵意とを
 慣れた舌で
 ごたまぜにする位なら


 黙つていた方がいいのだ
 一つの言葉の中に
 戦いを見ぬ位なら
 祭りとそして
 死を聞かぬ位なら


 黙つていた方がいいのだ
 もし言葉が
 言葉を超えたものに
 自らを捧げぬ位なら
 常により深い静けさのために
 歌おうとせぬ位なら


 私が書き始めるとしたら、それはもう青春の抑えがたい感情と肉体の横溢ではない。恐らくそれは死のために書かれる言葉である。