本の覚書

本と語学のはなし

文学

ἧος ὁ ταῦθ’ ὥρμαινε κατὰ φρένα καὶ κατὰ θυμόν,
ἕλκετο δ’ ἐκ κολεοῖο μέγα ξίφος, ἦλθε δ’ Ἀθήνη
οὐρανόθεν· πρὸ γὰρ ἧκε θεὰ λευκώλενος Ἥρη,
ἄμπω ὁμῶς θυμῷ φιλέουσά τε κηδομένη τε. (1.193-196)

アキレウスが〕かく心の中、胸の内に思いめぐらしつつ、あわや大太刀の鞘を払おうとした時、アテネ(アテナ)が天空から舞い降りてきた。二人の勇士〔アキレウスアガメムノン〕をともに愛しみ気遣うヘレが遣わしたのであったが… (『イリアス』上p.20)


 アキレウスを主語とする動詞が二つ未完了過去に置かれ、情景を生き生きと映し出しているのに対して、アテネとヘレを主語とする動詞が二つアオリストに置かれ、速やかで劇的な登場を演出している。量はたくさん読めなくてもいいが、こういうニュアンスはしっかり味わいたい。


 タイムこそやめたらいい。どうしても残すなら、英仏以外の言語のローテーションの中に組み込めばいい話ではないか。そんな気がしてきた。
 私がこのような没落の人生を選択したのも、ただひたすら可能な限り文学を原典で読むためではなかっただろうか。そもそも私に文学を読む以外の仕事がありうるのだろうか。