本巻収録作の書名は、これまで「緋色の研究」と訳されてきたが、土屋朋之さんの指摘どおり、これは誤訳であると思われるので「緋色の習作」に改めた。「緋色で描いた習作の絵」というほどの意味である。原著出版当時、英国の美術界で「青色で描いた習作(エテュード)」などという題名が流行していたから、ドイルもそれを採り入れたのであろう。誤訳であることについては、田中喜芳さんの広範な国際的アンケート調査があるが、私どももロンドンのシャーロッキアンに多数尋ねて、確実を期した。(p.8)
タイトル自体が本の内容を端的に表すものではないが、作中、緋色についてホームズがワトスンに解説しているところがある。
この件では君に感謝するよ。君がいなかったら、出かけなかったろうし、そうすればこれまでで最高の研究対象を逃すところだった。ちょっと芸術的な言い方をして、緋色で描いた習作とでも呼ぼうか。人生という無色の糸かせの中に、殺人という一本の緋色の糸がまぎれこんでいる。ぼくたちの仕事はその緋色の糸をほぐして、分離して、そのすべてを、端から端まで取り出すことなのだ。(p.76-77)
「ちょっと芸術的な言い方をして」というところは、原文を見ると「use a little art jargon」となっている。美術用語を使うということであるから、たしかに「習作」なのかもしれない。しかし、「Study in blue」というのは「青で描いた習作」であるというだけでなく、「青を学ぶための習作」でもあるのではないかと思う。ホームズの説明を見ると、美術ジャーゴンを借りながらも、「研究」の方に力点を置いているように思われる。
一方でワトスンが、あるいはドイルがこの作品を「習作」として位置づけていたと考えることはできるだろう。しかし、だからといって従来訳を誤訳と決めつけることはできないのではないだろうか。
ホームズというと完全無欠の知識人というイメージがあるかも知れないが、探偵業に関わらない分野のことにはほとんど無知であった(探偵としてもいつも完璧であった訳ではないが)。
出会ったばかりの頃、ワトスンはホームズの知識の一覧表を作っている。たとえば、天文学の知識はゼロと評価されている。地球が太陽の周りを回っていることすら知らない。それどころか、それを教わっても早速忘れる努力をするというのだ。余計な知識を増やせば、必要な知識が追い出されるという理屈である。