『ボスコム谷の謎』を読了する。
Still, of course, one can't refuse a lady, and such a very positive one, too. (p.116)
でも、そうかといって女性の頼みをことわるわけにもいきませんからね。しかも、それが、どうしてもぜひ、と頼まれますとね。(p.73)
レストレード警部のセリフである。
最初のoneは、一般的な主語を表すもので、フランス語のonと同じようなものである。女性の頼みとあれば断るわけにはいかない、ということである。
次に出てくるoneは同じ名詞の繰り返しを避けるために使われるもので、この場合はladyの代用である。女性の頼みとあれば断るわけにはいかない、それがことさらpositiveな女性であればなおのことだ、ということであろう。
問題は、positiveの意味である。普通に考えれば、「積極的な」とか「独断的な」とかいうことになるだろう。齊藤重信訳は、そのあたりの意味を汲み取ったものである。
しかし、もちろん、ご婦人の、それもあのように美しい方の依頼を断ることもできませんよ。(p.146)
ところが、小林司・東山あかね訳では、「美しい」という意味に解釈している。
確かにターナー嬢は美しかったらしい。既に結婚しているワトソンすら「かつて見たことがないような美しい娘」だと言っている。
ワトソンは『四つの署名』の依頼者に、出会って幾ばくもしないうちに求婚するような人である。『ボスコム谷の謎』の冒頭に出てくる彼の妻は、そのモースタンであると一般に考えられている。女性には少しのぼせやすいのである。
レストラードもすみれ色の瞳を輝かせる女性の頼みには屈せざるをえなかったのか、それとも、あらゆる証拠が黒であることを示しているような容疑者を無実と信じ、どうしてもと頼みこむのを断ることが出来なかったのか。