本の覚書

本と語学のはなし

【ホームズ】もう退屈が襲ってきたよ【赤毛組合】

 現在私が持っているホームズの翻訳は、オックスフォード版を底本とする河出書房新社の全集(文庫版も)と、事件を推定年代順に並べ替えたベアリング・グールド版を底本とする東京図書の全集である。
 両者ともに特色があり、注釈も豊富である。だが、原典講読のときに参照する本としては、東京図書の方をメインに据えることにした。本が薄くて開きやすいのと、注釈が基本的に本文と同じページにあって見やすいという、単純な理由である。
 ただ、ホームズの翻訳は多分どれを取っても完全に満足できるものではないだろうから、常に別の訳も手元に置いておいた方がよい。そんなわけで、気になったところは河出書房新社の訳と注にも目を通している。
 今後も、文庫本で何種類か買い足すかもしれない。


 『赤毛組合』を読了する。

“It saved me from ennui,” he answered, yawning. “Alas! I already feel it closing in upon me. My life is spent in one long effort to escape from the commonplaces of existence. These little problems help me to do so.”

「おかげで退屈しのぎができた」ホームズはあくび混じりにいった。「ああ、もう退屈が襲ってきたよ。ぼくの人生というのは、平凡な生活から逃れようとする果てしない努力の連続だ。こうしたささやかな事件があるので、いくらか助かるのだがね」(p.188)

 これが東京図書の日暮雅通訳。東京図書版は個人訳ではないので、作品によって訳者が変わる。
 次に引用するのが、河出書房新社版の小林司東山あかね(夫婦である)訳。この部分は特別に問題のあるところではないが、あくまでサンプルとして。

「おかげさまで、退屈から救われたよ」と、ホームズはあくびをしながら言った。「ああ、でも、もうまた、退屈が始まっているような気がする。ぼくの一生は、毎日の生活が平凡なことから逃げ出そうとする、長い努力の連続さ。こうした小さな問題が、幾分かそれを助けてはくれるがね」(p.129)


 次は『花婿失跡事件』。
 短編集『シャーロック・ホームズの冒険』の中で、普通は『赤毛組合』の後に置かれる。ストランド・マガジンの編集者が原稿順を間違えて掲載してしまった名残であるらしい。
 実際、『赤毛組合』の冒頭近くで、「このあいだ、メアリー・サザーランド嬢が持ち込んだあの単純な事件」とホームズが言うのは、『花婿失跡事件』のことを指しているのだ。
 オックスフォード版とそれを底本とする河出書房新社版では、本来あるべき順番になおし、『赤毛組合』の前に置いている。
 東京図書版はもともと事件の起きた順に再構成したものだから、『赤毛組合』は後に来る。しかも、ホームズの発言から、二つの事件に時間的な間隔はほとんどないだろうということで、『赤毛組合』の直前に『花婿失跡事件』を置いている。