本の覚書

本と語学のはなし

万葉集1

ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ*1(1.48)

東方の野の果てに曙光がさしそめる。ふりかえると西の空に低く下弦の月が見える。


 柿本人麿の有名な歌で、たぶん教科書にも載っている。これだけでも十分すごいのだけど、アンソロジーではなく歌集を頭から読んでみると、前後に脈絡があってさらに面白い(『万葉集』もアンソロジーかもしれないが…)。
 先ず人麿は軽皇子かるのみこ(後の文武天皇)の安騎の野における狩りを長歌に詠む。それに対する反歌(短歌となっているが)があり、その後に続いて、かつての狩りを思い出し、亡き草壁皇子文武天皇の父)を偲ぶ歌が3首添えられる。
 上の歌はその2番目にあたる。前後の歌も書き抜いておく。

ま草刈る荒野にはあれど黄葉もみちばの過ぎにし君が形見とそし(1.47)

安騎野は草を刈るしかない荒野だが、黄葉のように去っていった君の形見として、やって来たことだ。


 川などの自然を形見とするという発想は他にも見えるそうだ。良寛の「形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉」を思い出す。*2これは直接には道元の「春は花夏ほとゝきす秋は月冬雪さえて涼しかりけり」を受けたものであるけど、歌は万葉に最も影響を受けたという良寛であるから、古代からのインスピレーションもあったのかもしれない。

日並皇子ひなみしのみこみことの馬めて御猟みかり立たしし時は来向かふ(1.49)

日並皇子の命が馬を連ねて今しも出猟なさろうとした、あの払暁の時刻が今日もやがて来る。


 「ひむがしの野にかぎろひの立つ」時刻である。「日並皇子ひなみしのみこ」は草壁皇子のこと。「立たしし」を文法的に説明すると、「立た」が四段動詞の未然形、最初の「し」が尊敬を表す上代の助動詞「す」の連用形、次の「し」が過去を表す助動詞「き」の連体形だと思う。助動詞の「き」は直接経験した過去という意味が添えられることがあるが、この場合もそうなのだろう。


 最初に引用した歌は直接草壁に触れてはいないけど、前後を考えればやはり同じ趣の歌と考えなくてはならない。だからこれは、単に情景を詠っただけではない。太陽と並ぶという意味の名を持つ皇子は既に亡くなっており、射しそめる朝日の中で青白く薄れてゆく月にむしろその影を見る気がする。生と死の歌。


 英米文学フランス文学と日本古典文学を並行して読んでいくのは、少しバランスが難しい。賢明なのは、有望な英米文学と日本古典文学を残して、フランス文学を切り捨てる。あるいは、近しい関係の英米文学フランス文学を残して、日本古典文学は和歌を少し嗜む程度にしておく(どうせ繰り返し読みたいと思う古典は『万葉集』ばかりだろうし)。
 しかし、私は賢明な人間でありえなかったし、これからもそうではありえないだろうから、現在のような境遇で生きているのだ。常に20年遅れて生きている。あるいは、いつも学生時代をやり直そうとしている。だから、どれもこれも中途半端になるとしても、今はまだバランスを崩しながらもなんとかこの3つにしがみついていくしかないだろう。

*1:原文は「月西渡」。旧訓の「月西渡る」も捨てがたいと中西は言う。

*2:続後拾遺和歌集』の「なき跡のかたみとまでや契りけんおも影のこす秋の夜の月」によく似た「亡き跡の形見ともがな春は華夏如帰鳥秋は栬葉」というバージョンもある。