本の覚書

本と語学のはなし

『フランス短篇傑作選』


●『フランス短篇傑作選』(山田稔編訳、岩波文庫
 19世紀末から20世紀のフランスの短篇アンソロジー。どれも面白かったが、なかでもアナトール・フランスの「幼年時代」が好きだ。それから、アンドレ・モーロワの描くタナトス・パレス・ホテルには行ってみたくなる。招待状が届いてもよさそうな気がしないでもない。


 ロジェ・グルニエの「フラゴナールの婚約者」の注釈について。どうでもいいことかも知れないが、自分のためのメモとして書いておく。

 つぎに会ったとき、ふたりはグルネル橋まで行き、「白鳥の島」をぶらついた。
 「きれいな名だろ。むかしはマクレル島と呼ばれていて、ペストで死んだパリの人間が埋められてたんだよ」とフィリップが説明した。(p.311)


 この「白鳥の島」のところに付けられた訳者注は以下のとおり。

 セーヌ川左岸、現在のユニヴェルシテ通りの一部あたりは昔は細長い島だったらしく、十六世紀に「マクレル島」と呼ばれていた。後、十七世紀になりルイ十四世がここに白鳥を放つようになって「白鳥の島」と名をあらためた。しかし第一帝政期にセーヌのこのあたりが埋め立てられたさい、この島は消失し、現在は存在しない。ここではその島の跡地のことか。(p.334)


 しかし、私は「白鳥の島」(あるいは「白鳥の遊歩道」)を歩いたことがある。*1それとこれとは別物なのだろうか。『パリ歴史事典』(鹿島茂の部分訳が出ているが、私が持っているのはパリで買った原書の方)*2で〈île〉の項を調べてみた。

 Il ne faut pas confondre l’actuelle île des Cygnes, digue construite artificiellement en 1825 par la société concessionnaire du pont de Grenelle, avec l’île des Cygnes créée naturellement. Celle-ci correspond à un terrain étroit et allongé entre la Seine et la rue de l’Université, entre la rue Jean-Nicot et la tour Eiffel. (p.941)


 やはり混同してはならないのだった。本来の「白鳥の島」はアルマ橋の左岸側のたもとあたり、エッフェル塔の北東方向の川沿いにあったのだ。
 だが、注釈では島の跡地を歩いたものと想像しているが、それは違う。作中のふたりはグルネル橋から「白鳥の島」にたどり着いている。この橋はエッフェル塔の南西側にあり、こことビル・アケム橋の間に現在の人工の「白鳥の島」なる遊歩道が渡されている。つまり、作中のふたりも歴史的な「マクレル島」と混同して現在の「白鳥の島」にやって来たのである。ふたりの史跡めぐりはしばしば失敗しているから、恐らくこれも作者も意図だろう。

フランス短篇傑作選 (岩波文庫)

フランス短篇傑作選 (岩波文庫)

  • 発売日: 1991/01/16
  • メディア: 文庫
【参考】