本の覚書

本と語学のはなし

Bonjour tristesse


 どこまで読んだかわかるように鉛筆で入れた小さな印を、いくつも通り過ぎていく。『悲しみよこんにちは』を前回途中まで読んだのは、大きな地震に翻弄された頃だった。*1時間がないのに興味があるものにはすべて手を出していた頃でもあったから、*2フランス語にかける時間も限られていた。かつて付けた印の間隔は、数行からせいぜい1頁くらいしか空いていない。だから、今は過去の印をどんどん跳び越えて行くのだ。


 朝吹登水子の翻訳はかなり硬いように思う。昔はこれくらいが標準だったのかもしれないが、学生時代の英文和訳を思い出してしまう人も多いのではないだろうか。一例を挙げておく。

Je courus ver la mer, m’y enfonçai en gémissant sur les vacances que nous aurions pu avoir, que nous n’aurions pas. (p.36)

私は海へ向かって走った。私は過ごすことができ得た、しかし過ごし得られそうにもない夏休みのことを惜しみながら、海の中に飛び込んだ。(31頁)