本の覚書

本と語学のはなし

涙の子アウグスティヌス【ラテン語】

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

告白録 (キリスト教古典叢書)

告白録 (キリスト教古典叢書)

quae cum ille dixisset, atque illa nollet adquiescere, sed instaret magis deprecando et ubertim flendo, ut me videret et mecum disseret, ille iam substomachans : « vade » inquit « a me ; ita vivas, fieri non potest, ut filius istarum lacrimarum pereat. » quod illa ita se accepisse inter conloquia sua mecum saepe recordabatur, ac si de caelo sonuisset. (3.12.21)

このように司教は話したが、母はそれでもまだ安心せず、なおも涙を流しながら息子に会って話してほしい、といっそうはげしく哀願し続けますと、司教はいささか気分を損ね、
「もう、お帰りなさい。今のような真剣な生き方で十分です。このような涙の子が滅びるはずはありません」
と言いました。
この言葉を、あたかも天から響いてきたかのように受け取った、と母は、わたしとの会話のなかで、しばしば想い出しては、話してくれました。(p.103)

 「このような涙の子が滅びるはずはありません」という司教のセリフばかりが有名で、感動的な美談としてのみ語られることが多いが、全体を読んでみるとちょっと印象が変わるかもしれない。


 母モニカは司教(名前には言及されていない)に、息子を悪から救ってくれと懇願する。司教はしばしばそういうことをしてきた人であるのだが、モニカの願いは断り、今はそのままにしておき、ただ神に祈りなさい、いずれ自分で過ちに気付くであろうからと言う。
 さらに、司教自らも母の影響でマニ教に属していた時期があり、ほとんど全ての本を読み、それを写し取っていたりもしたが、誰の助けもなしに邪教であることを悟ったのだと語る。


 引用は、その続きである。
 母はなおも懇願する。涙を溢れさせながら。ところが司教は、あまりのしつこさにいささか立腹するのである。Stomachusは胃のことであるが、古代では内臓に感情の座があると考えられていたので、同時に怒りをも表す。ここでは sub が付いているから、激昂というよりはちょっとイラついた程度であろうけれど。
 そして言うのである。「私のもとから去りなさい」。これが直訳。英訳では « Go thy ways » となっている。
 次の « ita vivas » は、宮谷訳では「今のような真剣な生き方で十分です」となっているが、訳しすぎ。英訳は « God bless thee » である。直訳は「そのように生きなさい」だが、命令形の « vive » が「さようなら」という意味であるように、司教自身の介入をきっぱり断る表現であるのかもしれない。
 なぜなら、このような涙の子が滅びるということは、不可能なのことであるのだから。ちなみに、「このような」と訳されている istarum は人称で言うと二人称で、「あなたのその」という感じ。時に蔑みのニュアンスを含むこともあるが、ここで司教が非難の気分を込めているかどうかは分からない。
 しかし、母モニカはこれを天からの声として受け取ったのである。