本の覚書

本と語学のはなし

涙の子アウグスティヌス【ラテン語】

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

  • 作者:Augustine
  • 発売日: 1912/01/15
  • メディア: ハードカバー
告白録 (キリスト教古典叢書)

告白録 (キリスト教古典叢書)

quae cum ille dixisset, atque illa nollet adquiescere, sed instaret magis deprecando et ubertim flendo, ut me videret et mecum disseret, ille iam substomachans : « vade » inquit « a me ; ita vivas, fieri non potest, ut filius istarum lacrimarum pereat. » quod illa ita se accepisse inter conloquia sua mecum saepe recordabatur, ac si de caelo sonuisset. (3.12.21)

このように司教は話したが、母はそれでもまだ安心せず、なおも涙を流しながら息子に会って話してほしい、といっそうはげしく哀願し続けますと、司教はいささか気分を損ね、
「もう、お帰りなさい。今のような真剣な生き方で十分です。このような涙の子が滅びるはずはありません」
と言いました。
この言葉を、あたかも天から響いてきたかのように受け取った、と母は、わたしとの会話のなかで、しばしば想い出しては、話してくれました。(p.103)

 「このような涙の子が滅びるはずはありません」という司教のセリフばかりが有名で、感動的な美談としてのみ語られることが多いが、全体を読んでみるとちょっと印象が変わるかもしれない。


 母モニカは司教(名前には言及されていない)に、息子を悪から救ってくれと懇願する。司教はしばしばそういうことをしてきた人であるのだが、モニカの願いは断り、今はそのままにしておき、ただ神に祈りなさい、いずれ自分で過ちに気付くであろうからと言う。
 さらに、司教自らも母の影響でマニ教に属していた時期があり、ほとんど全ての本を読み、それを写し取っていたりもしたが、誰の助けもなしに邪教であることを悟ったのだと語る。


 引用は、その続きである。
 母はなおも懇願する。涙を溢れさせながら。ところが司教は、あまりのしつこさにいささか立腹するのである。Stomachusは胃のことであるが、古代では内臓に感情の座があると考えられていたので、同時に怒りをも表す。ここでは sub が付いているから、激昂というよりはちょっとイラついた程度であろうけれど。
 そして言うのである。「私のもとから去りなさい」。これが直訳。英訳では « Go thy ways » となっている。
 次の « ita vivas » は、宮谷訳では「今のような真剣な生き方で十分です」となっているが、訳しすぎ。英訳は « God bless thee » である。直訳は「そのように生きなさい」だが、命令形の « vive » が「さようなら」という意味であるように、司教自身の介入をきっぱり断る表現であるのかもしれない。
 なぜなら、このような涙の子が滅びるということは、不可能なのことであるのだから。ちなみに、「このような」と訳されている istarum は人称で言うと二人称で、「あなたのその」という感じ。時に蔑みのニュアンスを含むこともあるが、ここで司教が非難の気分を込めているかどうかは分からない。
 しかし、母モニカはこれを天からの声として受け取ったのである。