本の覚書

本と語学のはなし

知られざる聖杯伝説/クリストファー・ナイト&ロバート・ロマス

 大変短い本であるにもかかわらず、前半でアーサー王物語に見られる聖杯伝説を紹介し、後半で死海文書と絡めた推理を行っているから、とてものこと説得力を持った論考になってはいない。
 後半部分を要約するとこういうことだ。西暦70年、エルサレムはローマ軍によって陥落した。この時、膨大な宝物が神殿の地下に埋められた。そして、そのリストが銅の巻物に記録され、クムランの洞窟に隠された。埋蔵にはイエスと親交のあった人々も大勢関わっており、イエスにまつわる品物も一緒に保管されたに違いない。
 73年、イエスに墓を提供したアリマタヤのヨセフ、もしくはその子がイギリスに渡った。後に聖杯を携えて来たのだと信じられるようになる。一方、祭司たちの一部も虐殺を逃れてヨーロッパに渡った。彼らはその血脈を守り、名家として台頭し、表面上はキリスト教徒と化して、神殿に埋蔵された宝物や聖杯を一族の秘事として語り継いでゆく。
 1071年、セルジュク・トルコがエルサレムを攻略した。ユダヤ人の祖先をもつ一族は、大軍をかき集め、十字軍戦士として、1099年エルサレムを攻略する。続いてテンプル騎士団を創設し、神殿跡の発掘に取りかかる。そして他の宝物とともに、イエスの聖杯をも発見した。騎士団の初代総長ユーグ・ド・パイヤンは、スコットランドに住む旧友であり、叔父でもあるヘンリ・セント=クレアを訪問する。1140年、騎士団はセント=クレア家の領地に宝物類を運び込み、そこに修道院を建設してこれを隠した。この頃、突如としてアーサー王や聖杯にまつわる物語が世に知られるようになったのは偶然ではない。それを著した二人の聖職者は、いずれもユーグ・ド・パイヤンと親交を持っていたからである。
 1307年、騎士団は異端の疑いをかけられ壊滅する。しかし、セント=クレア家のロズリン礼拝堂に隠された宝物と聖杯に手が付けられることはなかった。そして、今に至るまで発掘調査は行われていない。間もなく現代の考古学がこれを蘇らせるであろう。