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本と語学のはなし

現代ギリシア語文法ハンドブック/福田千津子

現代ギリシア語文法ハンドブック

現代ギリシア語文法ハンドブック

 『ニューエクスプレス 現代ギリシア語』が今一つなので、先に文法をひと通り勉強してしまおうと始めたのだが、こちらも今一つだった。
 不親切、不適切、不正確。私家版の域を出ていないような感じ。英語やフランス語の文法書にもっと学んだらいいと思うのだが、マイナー言語を学ぶ人は多くの人が参入してくることを密かに警戒しているのかもしれない。現代ギリシア語は古典期から較べたら非常に多くのものが失われ、実にスリムになって今ではフランス語より複雑であるなどと到底言えないはずなのに、文法書の読みにくさといったらフランス語の数等倍我々を苛立たせる。

 不正確の例を三つ挙げておく。
 82ページ、μόνοςが人称代名詞の属格と共に用いられて「一人で、ひとりでに」を表すという説明の後の例文。

  Τα λεφτά δεν έρχονται ποτέ από μόνα τους.
   お金はひとりでに入ってはこない.

 この本に書かれている情報だけから判断すれば、τουςは男性複数対格であって、ここで要求されるだろう中性複数属格ではない。τουςが属格として使われることがあるのか、例文が間違っているのか、私には分からない。
 102ページには、動詞の継続相においては能動態と中・受動態の語幹が同じであると書いてある。122ページからのⅡa型の中・受動態継続相の活用表では、-ιέμαιなどιから始まる語尾が列挙されている。ところが、巻末の文法表を見ると、能動態のαγαπώは語幹がαγαπ-であるのに、中・受動態のαγαπιέμαιはαγαπι-が語幹であり、-έμαιが語尾であるということになっている。このιは全活用で登場するのだから、語幹と語尾のどちらに区分しても結果は同じであるとはいえ、この一事だけでも文法書にとっては致命的な欠陥である。
 169ページ、主格補語として使われるという前置詞γιαの例文。

  Δεν τον θέλει για τον άντρα της.
   夫には望まない.

 分析すると、δενは否定辞、最初のτονは人称代名詞・男性単数対格で「彼を」、θέλειは望むという動詞で、主語は省略されているけど「彼女は」という人称代名詞・女性単数主格を補って考える。そのあと前置詞のγια、それに続きτονは男性単数対格の定冠詞、άντραは男性単数対格の名詞「夫」。最後のτηςは人称代名詞・女性単数属格で、前の名詞を修飾して「彼女の」。直訳すれば「彼女は彼を彼女の夫としては望まない」となる。つまり、主格補語なんてどこにも現れない。για τον άντραは最初のτονと同格に置かれて、対格になっているのである。「そんなこといちいち説明するまでもないこと、例文を読んで分かれ!」ということだと思うが、私には理解のできない感覚だ。

 私に言わせれば、現代ギリシア語文法なんてむしろ簡単の部類に入る。大したページを割くわけでないのだから、完璧な文法表を作り、不規則動詞の語幹一覧も作れば(このハンドブックでは最も肝要なこの作業を行っていない)、文法の説明なんか簡潔に済ませてもいい。その方がずっと実践的な参考書になるだろう。
 ギリシア語というともっぱら古典ギリシア語を指す現状を、現代ギリシア語を専門とする人たちは嘆くが、現代ギリシア語の学習書のレベルがこの程度である以上、現代ギリシア語を習得する一番の近道は、先ず古典ギリシア語の苦行に耐えることである。