- 作者:石川 忠久
- 発売日: 2006/04/01
- メディア: 単行本
日本の詩が多く収められているのも嬉しい。たとえば、森鷗外が洋行の途上に書いていた漢文の「航西日記」の中から、マルセイユについた時の詩。
回 首 故 山 雲 路 遥 回首すれば 故山 雲路遥かなり
四 旬 舟 裏 歎 無 聊 四旬の舟裏 無聊を歎く
今 宵 馬 塞 港 頭 雨 今宵 馬塞 港頭の雨
洗 尽 征 人 愁 緒 饒 洗い尽す 征人 愁緒の饒きを
裏はうらではなくて中。馬塞はマルセイユ。征人は旅人で、ここでは鷗外のこと。「頭(こうべ)を振りかえってみると、故郷の山は雲の向こうに遥かにへだたってしまった。四十日間の船の中で無聊を歎いた。今晩マルセイユの港には雨が降っている。その雨が旅人の多くの愁いの糸を洗い尽すようだ」。
なんといってもこの本の最大の魅力は付属のCDである。中国語の朗読と詩吟があるのは四首。その内、柳宗元の「江雪」と李白の「子夜呉歌 其の三」は唐代音まで復元されている。これまでに買った本の中からピンインを探し出して、何度も聞いた。
日本の詩吟もたっぷり聞かされる。これはあまり好きでない。悲憤慷慨の詩ならともかく、漢詩は本来もっと軽やかで色彩豊かなものではないかという気がするのだ。
最後に古琴の演奏と歌。昔は恐らくこんな風にして楽しまれていたのだろう。陶淵明は酒を飲んでは弦の張っていない琴を弾いていたというし、王維にも竹林七賢を大いに意識した「竹里館」という絶句がある。
独 坐 幽 篁 裏 独り坐す 幽篁の裏
弾 琴 復 長 嘯 弾琴 復た長嘯
深 林 人 不 知 深林 人知らず
明 月 来 相 照 明月来たって相い照らす
篁は竹林。嘯は胸いっぱい息を吸い、口をすぼめて吐き出す養生法であるが、ここでは詩を吟じていると考えてもいいという。「ただ独り、奥深い竹の林の中に坐っている。琴を弾いたり、長嘯したりする。深い林の中であるから、誰もこの楽しみを知らない。やがて日が暮れて、月がさし上がる」。
この本では紹介されていないが、琴といえばもう一つ思い出す詩がある。李白の「山中にて幽人(隠者)と対酌す」である。これを最後に書きつけておく。
両 人 対 酌 山 花 開 両人対酌すれば山花開く
一 杯 一 杯 復 一 杯 一杯 一杯 復た一杯
我 酔 欲 眠 卿 且 去 我れ酔うて眠らんと欲す 卿 且く去れ
明 朝 有 意 抱 琴 来 明朝 意有らば 琴を抱いて来れ。
「ふたりで酒を酌みかわす傍には山の花が咲いている。一杯、一杯、さらにまた一杯。おれは酔って眠くなってきた。きみはひとまず帰ってくれ。明朝、気が向いたら、琴をかかえておいでよ」(松枝茂夫訳)。