本の覚書

本と語学のはなし

Bel-Ami


 『ベラミ』の杉訳。

 Quand Georges s’en alla, il serra énergiquement les mains de son camarade : « Eh bien, mon vieux, à bientôt ! » (p.165)

 ジョルジュは帰りがけに、友人の手を力をこめて握りしめた。
 ――じゃ、君、早く帰れるようになってくれよ! (上224頁)


 「アビアントー」を「早く帰れるようになってくれよ」と訳したのは面白い。字面からも想像できるかもしれないが、同じ「さようなら」でも、永遠もしくは永い別れに際しては「アデュー」を使い、近い内に会える相手には「アビアントー」を使う。
 この場面、ジョルジュは、ほとんど死にかけ転地療養する友人に向かって「アビアントー」と言っている。「アデュー」を使えば、今生の別れのようになるに違いない(先を読んでないので分からないが、恐らくそうなるだろう)。
 このような状況で選択された「アビアントー」であってみれば、本心はどうあれ、形式上は近々の再会を期待しているというふうを演出していることになるから、語の本来の意味を生かして訳を工夫したのだろう。


 ちなみに、デリダレヴィナスのために読んだ弔辞は「アデュー」と題されている。冒頭部分を引用してみる。

 ずいぶん長いあいだ、かくも長いあいだ、私はエマニュエル・レヴィナスに〈アデュー〉[Adieu]と言わねばならないのではないかと恐れていました。
 彼にアデューと言わなくてはならない瞬間に、とりわけ、声をあげて、ここで、彼の前で、彼の傍らのこんなに近くで、アデューと言わなくてはならない瞬間に、アデューというこの語を発しながら、私の声が打ち震えるだろうことは分かっていました。「ア−デュー」[«à Dieu»〔神の御許に〕]というこの語――それは、私が彼からいわば授かった語であり、彼が別様に思考し、発することを教えてくれたことになるだろう語です。(『アデュー』,岩波書店,3頁)