本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】指でさし示すだけ【エセー1.26/25】

 モンテーニュセネカプルタルコスについて直接言及しているところは、なるべく記録に残しておきたい。
 全部というわけにもいかないだろうが、とりあえず先日読んだところから。第1巻第26章(第25章)「子供たちの教育について」の引用である。

J'ay leu en Tite-Live cent choses que tel n'y pas leu. Plutarque en y a leu cent, outre ce que j'y ay sceu lire, et, à l'adventure, outre ce que l'autheur y avoit mis. A d'aucuns c'est un pur estude grammairien; à d'autres, l'anatomie de la philosophie, en laquelle les plus abstruses parties de nostre nature se penetrent. (p.156)

わたしは、ティトゥス・リウィウスのなかに、他人が読みとらなかったことを、それこそ山ほど読みとっています。そしてプルタルコスも、ティトゥス・リウィウスのなかに、わたしが読みとることができた以外を、それもたぶん、著者がそこに盛りこんだこと以外を、たくさん読みとったわけなのです。ある人々にとっては、それは純粋に文法の勉強なわけですが、他の人々にとっては、哲学的な分析であり、われわれの本性のうちで、もっとも晦渋な部分へと分け入っていくことにもなるのです。(p.271)

 モンテーニュジビエは歴史である。子供の教育のためにも、プルタルコスの『対比列伝』を勧めるのである。
 だが、それは些末な事実を記憶するためではない。それを材料に、判断することを学ばせるためである。モンテーニュにとっては世界全体が学校であり、時空もまた学校である。
 しかも、プルタルコスは単に判断の材料を提供するだけではない。本を読みこむということがどういうことか、自ら教えてくれる教師でもあるのだ。

Il y a dans Plutarque beaucoup de discours estandus, tres-dignes d'estre sceus, car à mon gré c'est le maistre ouvrier de telle besongne; mais il y en a mille qu'il n'a que touché simplement: il guigne seulement du doigt par où nous irons, s'il nous plaist, et se contente quelquefois de ne donner qu'une attainte dans le plus vif d'un propos. Il les faut arracher de là et mettre en place marchande. (p.156)

プルタルコスのなかでは、大いに学ぶべき、たくさんの議論が展開されています。私見では、プルタルコスはこうした仕事においては親方なのであります。ただし、さっと簡単にふれただけのことがらも、たくさんあって、気が向いたら、どこを通っていけばいいのか、指でさし示すだけで、主題の核心を一突きするだけで済ませたりしています。ですから、そこから引っぱりだしてきて、店の棚にでも陳列してみる必要があります。(p.271)

 最初に引用した文章にすぐ続く部分であるが、モンテーニュは『モラリア』にも話を拡大しているようである。
 プルタルコスは簡潔にしか示してくれないことがある。そこから何を引き出すのか、読み手の方が試されている。
 アジアの人々はノンという一言が言えなかったばかりに、一人の王に仕えることになった。プルタルコスが『はにかみについて』で書いた一文が、ラ・ボエシに『自発的隷従について』一巻を書かしめることにもなったのである。