モンテーニュとセネカとプルタルコスを原典でも翻訳でも読み、英字新聞とニュースとドラマで英語を鍛える。時間は足りないくらいだ。だが、それぞれを少しずつ刻めば、何かもう一つ毛色の違うことができるのではないかといつも考えている。
道元と森鷗外を時々つまんでみる。ほつれて破れて修復不能に陥っている日本語能力をどうにか手当てしたいなら、悪いくはないかもしれない。
聖書のことはすっかり忘れていた。本来第一候補とするべきものである。熱が冷めている。私にとって、聖書はモンテーニュに取って代わられたのではない。宇宙論である。それが無神論に導くのか、宇宙と物理法則とが神の作品なのか、神自身なのかということなど、どうでもよい。
もうすぐ夜勤が始まる。その生活の中で可能なものを選択しなくてはならない。
ニュートンは、少なくとも定期購読が終わるまでは(あと3年くらいあるはずだ)、何とか読み続けたい。