本の覚書

本と語学のはなし

トマス・アクィナス 理性と神秘/山本芳久

 学習塾は案の定面接に至らず、書類選考で不合格となった。その後、機械製造業に応募したが、これもまた書類選考の先には進めない。
 いろいろな仕事をするところを想像するのは楽しくもあるが、今から転職をするのは困難なのだということを認めて、無駄な活動にあまり時間を使いすぎないようにしなくてはいけない。


 トマス・アクィナス。これまで敬して遠ざけてきた。
 トマスにとって、十字架上の受難とそれに続く復活以上に重要であったのは、受肉の神秘であったようだ。受肉、それは神が人間の弱さの内に宿ることではない。自らを被造物に一致させたと言うよりも、むしろ被造物を自らに一致させたのである。
 それは「善の自己拡散性・自己伝達性」という根本原理の発現である。我々が神から善を受け取るとき、同時にその善を他者に分かち与える力をも受け取る。神の善性を分有するとはそういうことである。


 トマスは祈りの生活に従事するベネディクト会を出て、巡歴説教に力を入れる新興のドミニコ会に入った。トマス自身の言葉を最後に引用する。

 単に輝きを発するよりも照明する方がより大いなることであるように、単に観想するよりも観想の実りを他者に伝える方がより大いなることである。(Ⅱ-Ⅱ, q.188, a.6)

 「観想の実りを他者に伝える」という言葉は後にドミニコ会のモットーとして採用された。