本の覚書

本と語学のはなし

新漢詩の世界/石川忠久

新 漢詩の世界 CD付

新 漢詩の世界 CD付

 現代中国語の朗読と吟唱が聞けるのは、孟浩然「春暁」、李白「早に白帝城を発す」、杜甫「春望」、白居易香炉峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶たま東壁に題す」、杜牧「秦淮に泊す」、杜甫「兵車行」(吟唱はなし)。先日購入した『唐诗三百首』に載っているものは、ピンインを見ながら耳を傾ける。漢詩水墨画の世界というイメージは一面的で、むしろ本来色彩画であったと感じる。
 「早に白帝城を発す」と「春望」は唐代の音まで復元されている。恐らく当時はもう少し滑らかに発音していたのではないかと思うけど、現代音や日本語音との異同を知ることができるのは嬉しい。
 日本における漢詩の受容にも強い関心があるらしく、CDには日本の詩吟もたくさん収められている。本国のそれとはまったく別物だ。飲み会で詩を唸りだすと手が付けられなくなる老人を見たことがあるせいか、どうも私は好きになれない。もっと現代中国語朗読に力を入れてほしかった。

 日本人の作った漢詩も多く紹介されている。上杉謙信頼山陽夏目漱石のものもある。今でも漢詩をつくる日本人は存在する。疑問に思うのは、日本人が平仄の規則をしっかり守るとき、その音楽性を実感として理解しているのだろうか。それとも、観念上の遊戯として知的なパズルを楽しんでいるだけなのだろうか。
 良寛の詩は、韻はきちんと踏むが、平仄は大方無視している。規則通りの詩はわずかに一篇のみという。一篇あるということは、作ろうと思えば作ることはできたのかもしれないが(偶然正しく出来上がったのかもしれないけど)、ほとんどそこに意義を見出してはいなかったことを意味するのだろう。