本の覚書

本と語学のはなし

雪下ろし


 昨日は雪下ろし。ニュースを見ると今年はひどい豪雪のようだけど、我が家の周辺で言えば、昨年の方がはるかにひどかった。一年前の今頃は雪のことだけ考えて暮らしていたから、そんな風に思うのだろうか。
 大屋根の雪を全部下ろした。そうしなければ家が潰れるからではなく、下ろすのに手ごろな量だったから。下屋根も全部下ろした。下に溜まった雪の量は恐らく去年の半分くらいだ。雪がずっと降り続くわけではなく、晴れ間も多いので、かなり融けてもいるのだ。


 年寄りはしきりに雪下ろしをしたがる。心配性になる。他にすることがない。溜まらない内に少量ずつ下ろす方が楽だと感じるようになる。現代の生活の中であまり感じることのなくなった身体感覚を思い出すのが楽しい。最後のが多分一番の理由だろう。
 雪下ろしは雪国育ちでない人の考えるほど重労働ではない。彼らが雪下ろしをすれば実際重労働にしてしまうに違いないが、本当は足腰の力さえあれば、腕力は並み程度で十分だ。大して力を使わずに、見た目にはっきりそれと分かる大仕事が行われていく。昔はそういう体の使い方をよくしていただろう。案外これは快感なのだ。
 と言いつつ、今日は背中から足にかけて筋肉痛だ。


 学校を3月で辞めることはどうやら了承されたらしい。特に面倒なことにはならなかった。講師は毎年交代しているので、慣れているのかもしれない。


 塾では相当授業を詰め込んでも、必要なお金を稼ぐことはできない。しかも、授業が増えれば増えるほど、生活の質は低下する。コマ数の2乗に反比例するくらいの勢いだ。塾のアルバイト代以外に収入がない人もいるはずだが、それで生活が成り立つのかいつも不思議に思う。
 生徒の成績を上げて時給単価を上昇させれば、あるいは可能なのかもしれない。しかし、それもつまらない話だ。勉強なんてお金を取って教えるもんじゃないとつくづく思う。


 問題は仕事が容易には見つかりそうにないことだ。