本の覚書

本と語学のはなし

明王と仏


 イーヴリン・ウォーの『大転落』はそれほど捗っていない。今のペースでは今月中の読了は厳しい。翻訳は岩波文庫富山太佳夫のもの。

 Two hours later the foreman in charge of the concretemixer came to consult with the Professor. He had not moved from where the journalist had left him; his fawnlike eyes were fixed and inexpressive, and the hand which had held the biscuit still rose and fell to and from his mouth with a regular motion, while his empty jaws champed rhythmically; otherwise he was wholly immobile. (p.121)

 それから二時間後、コンクリート・ミキサーを担当していた班長が、教授のところに相談にきた。彼は、ジャーナリストと別れた場所から一歩も動いていなかった。その仔鹿のような目は無表情に一点を凝視し、ビスケットをつかんだ手は依然として口への規則的な上下運動を繰り返し、鬚のないあごがリズミカルにポリポリ音を発し続けていた。それ以外の点では、教授は不動明王であった。(178頁)


 底本が違うので何とも言えないが、「empty jaws」が「鬚のないあご」であるというのは本当だろうか。「ビスケットをつかんだ手」が過去完了形で書かれているのは、二時間前、ジャーナリストが立ち去った時の行為を言っているのであって、もはやビスケットがなくなったにもかかわらず手の動きは止まず、口の中は既に空っぽなのにあごばかりもぞもぞ動かしている、ということではないかという気がするのだが。だいたい、ポケットから取り出したビスケットで二時間も持たせることができるものだろうか。
 しかし、翻訳が正しいかどうか検証するのが目的ではない。注目したいのは「wholly immobile」に「不動明王」という訳をあてているところだ。ウォーの文章は含んだ笑いを誘うようシニカルな文体で訳してもらいたいと思うのだが、どうもドタバタ喜劇のようになってしまうことが多々ある。ここもあえて不動明王を持って来る必要があるのかどうか。


 数日前に読んだこの文章を思い出したのは、今日モーパッサンの『ベラミ』で興味深い翻訳に出会ったからだ。翻訳は岩波文庫の杉捷夫のもの。

 Il ricanait, excité par les sous-entendus qu’il sentait glisser dans cette jolie bouche ; et il fit le signe de la croix avec un marmottement des lèvres, comme s’il eût murmuré une prière, puis il déclara :
 « Je viens de me mettre sous la protection de saint Antoine, patron des Tentations. Maintenant, je suis de bronze. »  (p.225)

 この美しい口の中に消えた暗示にそそられて、彼は作り笑いをした。祈祷でも唱えるように唇をもぐもぐ動かして十字を切り、それから、あらたまってこう言った。
 ――さあ、これで、誘惑の守護神、聖アントワヌの庇護を受けたぞ。こうなったら、金仏さまだ。(下29頁)


 ここでも「消え」てしまう必要はないような気がするが。それはともかく、「de bronze」が「金仏」となっているのは面白い。不動明王は明らかに狙いだが、金仏は、翻訳当時、ものに動じない様を表現する普通の言い回しだったのだろうか。それにしても、聖アントワヌの庇護を受けながら仏様になってしまうのは、いかにも都合の悪いことである。