本の覚書

本と語学のはなし

『アドルフ』


●コンスタン『アドルフ』(大塚幸男訳,岩波文庫
 「もしもそこに為になる教訓がふくまれているとすれば、その教訓は男たちに向けられたものであります」と言うけれど、私はこの物語を女性が読むべきものと考える。
 男性が女性を愛すること、愛し続けることは可能なのだろうか。男性を女性へと結びつけるのは、誤った正義感と優柔不断と習慣だけなのではないか。しかも男性は、それを愛と呼ばなければ、女性はショックのあまり気が狂うか死んでしまうものだと自惚れている。
 女性が読めば、アドルフのような男はけしからない、エレノールが死ぬなんて馬鹿な話があるものかと思うだろうけれど、男性はたいていアドルフのようなものだし、女性はたいていエレノールのようなものだと思っているのも男性なのだ。


 酒を飲みながらということもあって、ニヤニヤしながら読んでしまったが、個人的な好みから言うと、あっさり全てを放擲してしまうタイプの登場人物が好きだ。例えば『月と六ペンス』のストリックランド。ゴーギャンをモデルにしたと言われる人物だ。パリに逃げた彼を「私」が訪ねた場面。


 「奥さんは、こんな仕打ちをうけても当然と言えるようなことをしたんでしょうか」
 「いいや」
 「奥さんに何か不満でもあるんですか」
 「ないよ」
 「それじゃあ言語道断じゃないですか。何の落ち度もない妻を十七年もの結婚生活のあげくにこんなやり方で捨てるなんて!」
 「言語道断さ(Monstrous)」彼が言った。


 私がお釈迦さんを好きなのも、天上天下唯我独尊や梵天勧請の逸話よりも、子どもにラーフラ、つまり「障り」という名前を付けたり、その子とともに妻ヤショーダラを捨て去った極悪非道の感性のためだろう。


 『アドルフ』の翻訳について言うと、古めかしい直訳調だが、これはこれで、いかにも海外文学を読んでいるという気分になる。今は多分、こういうのは翻訳者失格ということになってしまうのだろうけど、私は好きだ。

アドルフ (岩波文庫)

アドルフ (岩波文庫)