本の覚書

本と語学のはなし

今日


 午前中は疲れのため完全にダウン。
 午後からリハビリのため図書館へ。今日の勉強はこれだけだが、図書館で「ニューズウィーク」と「ディプロマティク」を読んでおけば、最低限のことはしたことになる。
 我が三兄弟は、長男が宗教がらみで二度失踪。次男が高校を中退(今では一番まともな社会人で家庭も築いている)。三男が大学で二年留年し、学士入学した先では中途退学し、仕事を二度辞め、現在無職の自堕落な人間。これは明らかに親の教育が悪いのだろう。教育と呼ぶべきものがあったとしての話だが…。そんなことを考えながら歩いていたので、『英仏基本構文』のCDはきちんと聞いていなかった。

昨日


 昨日は母と東京に行き、兄の部屋の片付けをした。
 蔵書の処理には一番困ったが、近くの古本屋が引き取りに来てくれた。チベット仏教や速読や整体に関するものが多い。どこかの速読教室の恐ろしく高価なテキストなんかもあった。英語や中国語にも関心があったらしいけど、オーソドックスなテキストや文法書などはなく、その代わりに瞑想だとか科学を超えたメソッドで魔法のように知識が身に付くと謳う類のものを好んでいたらしい。宇宙に偏在するエネルギーを取り込むことで人間の能力は無限に開発されるというような、安っぽい宗教への傾きが見て取れる。
 買わされたのか自分で売っていたのか知らないが、明らかにマルチのアイテムと思われる品物もあった。聞いたこともないようなアイドルのサイン入りCDもあったが、それは敢えて母には見せなかった。
 兄はどこに消えたのか。パソコンを開けば何か掴めたのかも知れないが、残念ながら私には兄に対する愛情も関心もないので、その場でそんなことを思いつきもしなかった。パソコンはいずれアパートの管理会社に処分され、その中に眠る情報も永遠に失われる。しかし、可能性としては3つしかないように思われる。出家のための施設を持つ宗教団体に駆け込んだか、ホームレスになったか、自殺した(もしくは、する予定)か。前歴からすれば、新興宗教の虜となったと考えるのが妥当だろう。
 おそらく、いずれまた兄のことでは何らかのトラブルに巻き込まれることだろう。


 夕方、私はひとりで新宿南口の紀伊國屋に向かい、フランス語の本を買う。
 上野駅蕎麦屋で、焼酎のロックを飲みながら、鴨せいろを食べる。肉に執着はしないが、鴨だけには舌なめずりをしてしまう。焼酎ロックをお代わり。
 帰りの新幹線では、『テレーズ・ディスケルウ』を読みながら、柿の種を頬張り、チューハイを飲む。1時間ほどしたところで猛烈な睡魔に襲われ眠り込む。一つ手前の駅で目が覚めるが、どこなのかよく分からない。ひょっとしたら降りなくてはいけないのかなと思いながらも、たぶん私の駅ではないだろうと、勘を頼りに腰を動かさない。なんだか自堕落な人間になってきたようだ。