本の覚書

本と語学のはなし

ニューズウィーク日本版 April 25, 2017

 継続して読まないことには適正な判断を下すことはできないだろうけど、とりあえず今週号を全部読んでみての感想。
 短い記事が多い。三時間もあれば読了する。職場で読むにはよさそう。
 しかし、ニュースの要約に若干の情報とニュアンスを加えただけという感じもする。
 タイムのように現場を取材して、一般の人々の声も拾い上げたような記事がほとんど見当たらない。
 日本版でありながら、日本国内のことはほぼ取り上げられていない。
 結論。タイムを丁寧に読み、不足分は新聞で補う。それで十分。


 北朝鮮問題は全面戦争に至ることは恐らくないが、出口があるわけでもない。
 フランスの次期大統領はマクロンになる可能性が高いが、「しかし、彼に投票するということは、単独政権なのか連立政権を組むのかも分からず、権力を行使する政治基盤が定まらない大統領を選ぶという賭けでもある」(p.37)。
 イランの反体制的映画監督ジャファル・パナヒの『人生タクシー』で、監督自身の運転するタクシーに乗った人権活動家の女性弁護士ナスリン・ソトゥーデは言う。「宗教政治の最悪の影響は、彼らの声が頭の中に入り込み、世界全体を牢獄に変えてしまうことだ」(p.63)。

Newsweek【購入】

 英語の Newsweekを定期購読していた時期があった。当時は今のように通読なんてとてもやる気にはなれなかったのだけど、決して読めないことはない英語であったから、割と愛着があった。
 紙媒体の Newsweek は一度姿を消して電子版だけになったが、2014年に復活する。しかし、Fujisan.co.jp を見ると定期購読割引などはなく、一冊1404円。今わざわざ英語版の Newsweek を読む必要はなさそうだ。


 日本語版を買うのは初めてではないけど、せいぜい二度目か三度目。英語版と必ずしも同じものではないようだが(思想的にも異なる場合があるようだが)、一冊460円。定期購読ならもっと安くなるし、電子版ならさらにお得である。
 もしタイムの理解に役立ち、タイムの足りないところを補ってくれて、かつ読む時間が確保できるならば、試しに半年くらい購読するかもしれない。

わたしはこの肉で神を見るであろう【聖書】

聖書 -原文校訂による口語訳

聖書 -原文校訂による口語訳

 復活祭が終わったけれど、相変わらず教会とは何の関係も持たずに暮らしている。
 久しぶりに近くの教会のホームページを幾つかのぞいてみた。
 日本基督教団のところは三月の異動で牧師が替わり、ホームページの更新が中止されていた。前の牧師さんが個人で作ったものらしく、新任の人には引き継がれないようだ。新しい牧師がさんが新しいホームページを作るのかどうか分からないし、割と若い女性らしいその牧師さんがどんな人であるのかもよく分からない。プロテスタントは良くも悪くも牧師さん次第である。
 我が家から一番近いかもしれない福音主義の教会は、昨年末ごろに女性の牧師さんが退任して、今はそのまま司牧者のいない状況が続いているようだ。他の教会への転出ではなさそうである。過去にはブログがすべて削除されていたこともあったので、体調の問題でもないかもしれない。
 カトリックはこの辺りでは教区のホームページしかなく、個々の教会の情報に乏しいが、人事異動は教区で一括して報告してくれている。しかし、誰がどんな顔をしてるのかも知らないから、感想の持ちようもない。


 聖書は再びフランシスコ会訳を読んでいる。
 日々、気になるところを一箇所だけ書き抜いておきたい。前からそうは思っているのだが、続きそうにない。
 とりあえず今日は、ヨブ記19章26節。

わたしの皮が、このようにはぎ取られた後、
わたしはこの肉で、神を見るであろう。

 最も弱いところに在る神を、不条理に虐げられた肉体において見るという、ある種の神秘思想のようにみえる。
 パウロの肉体の棘、あるいはイエスの十字架上の呪われた死。それもまた、神との対話であったかもしれない。


 だが、この部分、原文の解釈にはだいぶ幅があるようだ。岩波訳では「この肉で」のところを「わが肉なしに」と訳している。これでは全く反対のことを言っているようである。
 原文のミベサリのミという前置詞は英語の from に相当するのだが、神を見る時期(生存中か死後か)、条件(肉体へのこだわりの有無)、神学的関心(復活への証言とみなすか否か)の違いによって、古来訳し方が分かれてきたらしい。
 七十人訳はかなり異なった表現をしているので、たぶん底本が現行のマソラのテキストとは違うのだろう。
 ウルガタは in carne mea であるから、欽定訳、フランシスコ会訳、バルバロ訳、新共同訳、中澤洽樹訳(「この〔無惨な〕肉で」!)がこのラインである。JPS も while still in my flesh としているから、ユダヤ教の神学的伝統はこちらの立場かも知れない。
 文語訳は「われ肉を離れて」としていて、口語訳、関根正雄訳、岩波訳(たぶんルターも)はこちら側。岩波訳の考え方としては、神との応答関係が肉の次元を乗り越えさせており、ヨブは肉にこだわる友人の立場を批判しているのだ(敢えて22節と同じ表現を別の文脈に移して)とのこと。
 新改訳は解釈を入れずに「この肉から」と直訳している。