本の覚書

本と語学のはなし

希羅対照【ギリシャ語/ラテン語】

 語学がはかどらないので、アウグスティヌスを一旦休止した。ラテン語は、新約聖書ギリシャ語原典を講読する際に、一緒にウルガタ訳を読むことにした。
 ネストレと新ウルガタ訳を並べた本があるので、それを使う。もちろんウルガタ訳は我々の底本を用いているわけではない。いつでもギリシャ語テキストとラテン語訳の内容が一致するとは限らない。


 例えば、コリントの人々への第一の手紙9章15節の後半。ネストレ28版の原文。

καλὸν γάρ μοι μᾶλλον ἀποθανεῖν ἤ ― τὸ καύχημά μου οὐδεὶς κενώσει.

 「(~よりも)」の後が中断されたまま、別の文章が始まっているものと考えられている。


 フランシスコ会訳では、その通り訳している。

それくらいなら、むしろわたしは死んだほうがましです……。誰もわたしの誇りを無にすることはできません。

 ただし、比較対象は明示されていないのだから、「それくらいなら」と補うのは勝手と言えば勝手な解釈である。


 一方、ウルガタ訳。

bonum est mihi magis mori quam ut gloriam meam quis evacuet.

 これをフランシスコ会訳の言葉を使って訳すなら、「誰かがわたしの誇りを無にするくらいなら、むしろわたしは死んだほうがましです」となる。
 これは誤訳かというとそうではないのであって、写本によっては、不完全な文章を文法的に正しくしようとしたのか、このような意味になるように修正されたものもあるのである(こちらが元来の真正な読みである可能性もなくはないだろうが)。


 そんなわけで、当面ラテン語ギリシャ語と一緒に新約聖書を読むために使っていくことにする。新約聖書を読むためというより、ラテン語を忘れないための一番安直な方法を使うということであるけど。

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