- 作者:犬養 孝
- 発売日: 1981/12/25
- メディア: 文庫
私は古典文学の愛好家というわけではないし、他にやることもあるのでそろそろ古文を休止してみようかと考えるのだけど、『万葉集』にだけはまだ少し執着がある。
魅力の一つは歴史にある。万葉の歌が詠まれた頃は、日本という国の個性が強烈に形成されつつあったのだが、しかしそれは後世の人間が利用したがるようなものとはまた少し違った様相を呈していたのかもしれない。
もう一つは何と言っても言葉である。平安朝以降の日本語は、多少訓練をしなければ読めないとは言え、どう見ても至極まっとうな日本語である。しかし、万葉の言葉となると、もちろん日本語ではあるからかなりの部分は意味の想像がつくのだけど、なんじゃこりゃと言いたくなるような言葉も次から次へと繰り出される。それでいて、不明瞭ながらも不思議と懐かしさを感じるのである。
『方丈記』『徒然草』『歎異抄』『正法眼蔵随聞記』は職場でトライしてみようと思う。しかし、『万葉集』はたとえ訳も語釈もついていたとしても、絶対に職場では読めない。辞書を丹念に引くのが楽しいのだ。『万葉集』は家で読む。
とは言え、歌集を通読するというのは実はかなり退屈な作業になりがちで、一番面白いのは解説付きのアンソロジーである。どこまで『万葉集』通読に耐えられるだろうか。どのあたりで古典にお別れをするだろうか。
君が行く 道の長路を 繰り畳ね 焼き亡ぼさむ 天の火もがも
狭野茅上娘子 (巻15-3724)
流罪になった恋人の行く長い長い道のりを、手繰り寄せて畳んで焼いてしまう天の火があればよい、という情熱的な歌。
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事
大伴家持 (巻20-4516)
『万葉集』の最後の歌。中央政界から遠ざけられ(当時は藤原仲麻呂の全盛期)、因幡で詠んだ歌。恐ろしく悲しみに満ちた歌なのかもしれない。