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本の覚書

本と語学のはなし

ト音はゲーでジーはガンマで 振り返り

 長くなりそうなので、二首だけ振り返ってみます。

1. 手帳
(むな)手帳てちょう T 女照る日をΓ(かっこ)閉じ ト音は g ゲーg ジーγガンマ

 最初に断わっておきますが、括弧内の振り仮名は作者の提案する読みであって、確定ではありません。好きなように読んでもらって構いません。
 空手帳なんて言葉はありませんので、それはカラテチョウかもしれませんし、クウテチョウやアキテチョウかもしれません。はたまたソラテチョウであるかもしれません。ああ、ソラテチョウならどこかにありそうな気はしますね。
 意味から言えば何にも予定の入っていない手帳のことですから、ソラテチョウ以外どれでもいいかもしれません(「照る」はソラの縁語として選択してますけど)。
 でも、空車をクウシャと読むよりムナグルマと読む方がなんか恰好がよいですよね(意味は少し異なりますが)。それで私はムナテチョウと勝手に読むことにしたました。むなしい感じも出そうなので。
 それからガンマの大文字をカッコと読ませるのは相当強引でしょうから、断固拒否する人はそのままガンマでもいいですし、単なる記号として一拍くらい呼吸をおいて、読まずにすませても大丈夫です。


 本題です。この歌は事実をそのまま詠っただけのものです。
 学生の頃、T さんという女性と何度かお会いする機会がありました。仮に朋子さんとしておきましょう。知美さんでも、知世さんでもいいのですが、いずれにしろトから始まる名前の女性です。
 彼女と会う日、私は手帳の日付にカギ括弧のようなマークをつけていました。二股をかけているとかいうことは全くなく、誰に隠さなくてはならないというものではないのですが、恥じるべきものであるかのように誰にもわからぬような記号でカモフラージュしていたのでした。
 その記号は、イニシャルの T とか朋子のトを図案化したもののように一見思われるかもしれませんが、結果的には同じようなものであっても、私のうちではト音(ドレミで言うところのソ)からゲー(ドイツの音名)、ゲーすなわちジーからそれに対応するギリシャ文字のガンマ、そしてガンマの大文字へと変換を遂げて作られたものだったのです。
 それを朋子さんに説明した時に随分怪しまれたことは言うまでもありません。


 私は常々世界史の教科書でよく見かける憤死という言葉を不思議に思っていました。一体人間は憤りのために死ぬなんてことがあるものだろうかと。
 しかし、私は朋子さんに会って、ひょっとしたらあり得るんじゃないかと思うようになりました。彼女とお会いした期間はごく短いものでしたが、きっと彼女は憤死の意味を悟らしめた男として私を記憶しているでしょう。憤死ということが分かった感激をお話しした時にも、ことのほか怒っていましたので。


 本当のことを言いますと、朋子さんは後に描かれる女性とは別の方です。そちらは以前『マドレーヌのように』という短編小説を書いた時にモデルとした人です。
 ですが、この短歌はイメージを借りただけの純然たる創作ですので(1と10以外)、モデルは別であるとは言え、最初から最後まで、ひと夏の狂気に満ちた恋の連作風物語としてお読みいただければと思います。

10. ぬばたまの【枕詞】
ぬばたまの逃れ着きたるシャノアール ワタシノアイハマダイキテイル

 学生時代のこと。自傷癖のある女性とお付き合いをしたのですが、その人は当時通っていた教会の偉い人とも何やら怪しげな関係であるらしく(どんな関係であったかは知りません)、私はきっぱり別れることにしました。しかし、その後も夜になると玄関の外に女性の啜り泣く声がよく聞かれました。
 それで私は幾晩もシャノアールにこもって本を読んでおりました。たしかモンテーニュの『エセー』をそこで読破したのではなかったかと思います。
 ある日、アパートに戻ってみると玄関に一輪の花が置いてありました。カーネーションのようです。きっと何か意味があるに違いないと思い、本屋で花言葉を調べてみました。そこには「私の愛は生きている」と書いてあるではありませんか。私は絶望して本を閉じたのです。

枕詞についてのメモ

本来の用法
  ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く  山部赤人

 「ぬばたま」は「ひあふぎ」という草の黒くて丸い実であることから、黒いものや夜に関係のある言葉、「黒」「髪」「夜」「一夜」「夕べ」「昨夜」「今宵」「月」などにかかり、さらに「夢」、類似音の「妹(いも)」にかかる。


省略
  ぬばたまのこころ染むならとほきとほき宇治の川辺の翡翠かはせみの色  今野寿美

 「ぬばたまの黒きこころ」とせずに、「ぬばたまの」だけで「黒き」を意味させる。かかるべき言葉を省略し、その意味を枕詞に内包させようとする試み。


掛詞
  久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも  正岡子規

 「久方の」と来れば、「天(あめ)」「雨」「月」「雲」「光」などが続く。ところが、近代短歌の初めから既に、「天」と「アメリカ人」の音を掛ける遊びが行われていた。これはいくらでも応用がきく。
 先日読んだ『短歌レトリック入門』で加藤治郎はこれを掛枕詞と呼んでいた。


同類
  あしひきの摩天楼から眼のまへのビルへとむかふランチタイムに  菊池裕

 「あしひきの」と来れば、「山」「峰」などが続くものだが、山のように聳え立つものとして、「摩天楼」を持ってきた。山を思わせるもの、あるいは「足引きの」という表記が連想させるものであれば、応用をきかせて大丈夫ということだろうか。


外来語・外国語
 枕詞はふつう特定の日本語の単語に掛るものだが、本来の用法にしろ、掛詞や同類にしろ、外来語・外国語を用いて表現することもできそうだ。上の「久方のアメリカ人」だって、その例の一つだろう。


  鳴る神のテレフォンコール捨ておけば電話機の肩に力こもり来  小池純代

 「鳴る神の」と来れば、「音」「音羽」と続く。しかし、ここでは音にまつわる外来語の「テレフォンコール」が選択されている。同類の外来語ヴァージョン。


  ぬばたまの逃れ着きたるシャノアール ワタシノアイハマダイキテイル  k_sampo

 手前味噌で申し訳ない。
 シャノアールというのは喫茶店の名前であるけど、その意味は黒猫である。本来の用法の外国語ヴァージョンというべきか。


 外来語・外国語を用いることが一般に許されるならば、枕詞の表現領域は掛詞や同類との合わせ技によって相当に広がることになる。「ぬばたまのクローズアップ現代」だって「あしひきのスカイクレイパー」だって、いくらでもできてしまう。
 どこかで線引きが行われるべきかどうか、使うときには考えてみる必要がありそうだ。


不明
  あをによしアラブの兵器見本市に宇宙人が紛れこんでいること  大田美和

 「あをによし」と来れば、もちろん「奈良」(「国内(くぬち)」というのもあるが)。ところが、大田の「あをによし」ときた日にはどうにもかかる言葉がない。
 たぶん響きが少し似ている「アラブ」にかかる。しかし、なんか違う。そのなんか違う感じ、それが紛れ込んだ宇宙人の隠喩としてはたらいているようにも思える。
 これはもう誰にも真似のできない芸当だ。

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