本の覚書

本と語学のはなし

札束みたく束ねる 振り返り

1. 青
俺が自転車で向かったショッピングセンターの壁 煤けた青の

 「自転車で俺が向かった」と語順をちょっと入れ替えれば無理なく五七五七七のリズムに乗るところですが、なんだかそれではいけないような気がしました。
 青空のもと、曇り空のもと、雨空のもと、壁はいつもそこに屹立し、それに対峙します。ほとんど暴力的に。壁はまた、内と外、こちらとあちら、此岸と彼岸を否応なく分け隔てます。
 嘆きの壁ベルリンの壁安部公房の壁。壁はいろいろと想像をかきたてます。

2. 梅
もぎたてのにこげおひたる梅かたし むめかじりたしあをき毒ある

 梅と毒のみ漢字で残したところからも察してもらえるでしょうが、エロチックな連想からできた短歌です。
 二つ目の梅を「むめ」と表記したところに、自分としてはある種の狂気を表現したつもりですが、こういうものがはたして伝わるのかどうか、心もとなく感じています。
 青い毒というのは、もちろん青梅という見た目のことでもありますけど、実際に果肉には青酸が含まれているということでもありますので、それを表現したものでもあります。なお、この短歌はいちおう文語文法で書かれていますので、「ある」は連体形。本来は「あをき毒あるむめかじりたし」となるべき語順を倒置したものです。

 少し分かりにくいかもしれませんので、漢字を使い、現代仮名遣いでこの歌を書き直してみます。

  もぎたての和毛生いたる梅硬し 梅齧りたし青き毒ある

3. 傘
雨傘がゴルフクラブであったころ扇子が孔雀に憧れたころ

 提出期限に余裕があるのだからあわてて作る必要はないのですが、どうもなるべく早く済ませたいと急いでしまって、そのあまり幾つかの作品は見た目にも明らかな手抜きとなってしまうわけですが、これもまあ、今月の手抜きの一つでしょう。傘なんて少し頭をひねればそれなりの情景が浮かんできそうなものですが。
 しかし、駅でゴルフの練習をする昔の中年男性の姿をイメージしてしまったが最後、とうとうそこから抜け出すことができなくなってしまい、今でもいるのか知らないけど、私の中ではやっぱりあれはバブルの頃だよなあ、バブルと言えば荒木師匠だよなあ、と連想が進み、ろくでもない短歌を作ってしまったわけです。
 なお、今月は三十一音を厳守する方向で作歌しましたが、この歌のみ字余りになっています。

4. 曲がり角
蟻のゆく一本道に岩があり虚空に折れるその曲がり角

 蟻が障害物を迂回するところを曲がり角と表現しようと思ったのですが、考えてみれば蟻は水平方向だけで移動するわけではありません。垂直にも移動します。してみれば、彼らにとって曲がり角は我々のように右や左に折れるばかりではなく、垂直にも折れるのでしょう。
 しかし、「垂直に折れる」とか「天に折れる」とかでは七音にはなりません。そこで三文字のいい言葉はないかと類義語辞典を調べたら、虚空が見つかりました。これはいい。垂直とか天よりも、ずっとイメージの広がりが得られるようです。

5. しそ
しその葉を札束みたく束ねるという内職を始めませんか

 しそは好きなのですが、どう歌に詠んでいいのか見当もつきませんでした。
 「○○しそう」とか別の言葉の一部として使ってもいいのでしょうが、基本的には私はお題は出された意図の通りに使うことにしていますので(と言いつつ、先月「かめ」というお題で「わけわかめ」とか逃げたりしましたが)、もちろんこれが「紫蘇」のつもりなのか「始祖」のつもりなのかは分かりませんが(しかし「始祖」をひらがな表記する必然性は全くなさそうです)、いずれにしろ「しそ」をひとつの単語として使う方向で考えることにしました。
 結局思い当たるのは、しその葉って売られるとき束ねられているということ、それってなんか札束みたいだなということくらい。で、ちょっと検索してみたら、しその葉を束ねる内職があるのですね。体験談を見ると、三段階くらいに大きさを分けて束ねるのが面倒だそうで、やってみたけど時給にして200円くらいにしかならなかったのですぐ辞めた、と書いてありました。
 時給200円でしその葉を札束みたいに束ねるという内職、なんか哀しいですね。

6.紫陽花
なかぞらの虹の化石を溶かしきてさみだれはけふ紫陽花に

 昔の和歌の世界では、時雨や露が木々を紅葉させるとまことしやかに詠まれ続けていました。『古今和歌集』を見てみましょう。

  284 竜田川もみぢ葉流る神奈備かむなびの三室の山に時雨降るらし  よみ人しらず

 竜田川に散った紅葉が流れているのを見て、上流の方、三室の山に時雨が降ったようだと感じ入る歌ですね。

  257 白露の色は一つをいかにして秋の木の葉をちぢにそむらむ  敏行朝臣

 白露は一色なのにどうして木々を色とりどりに染めるのだろうかという歌ですね。

  259 秋の露色々ことにおけばこそ山の木の葉のちくさなるらめ  よみ人しらず

 こちらは一転、露がいろんな色を持っているからこそ、木々は色とりどりに染まるのだと見ています。

 さて、それならばあじさいを染めるのも梅雨の雨という発想もあっていいのではないでしょうか。しかし、白露がどうして木々を千々に染めうるのかという疑問は古代からあったわけで、ましてこうした和歌の伝統を受け継がない我々合理人は、無色透明の雨の染色能力に不審の念を抱くだけでありましょう。したがって虹の化石を持ち出すなどという仕掛けが必要になってしまったのですが、どうでしょうか。秋の露にはいろんな色があるんだよ、とそれだけで済ませられたおおらかさは、もう私たちにはないのかもしれません。

7. つばめ
羊では寝れぬあなたにいかがかと各種つばめを用意しました

 つばめ。思いつくままにイメージを挙げれば、低く飛ぶと雨になる(低空飛行になる虫を食うため)、つば九郎(名前だけ)、若いツバメ(平塚雷鳥と年下の画家・奥村博史の恋に由来するらしい。奥村が身を引くとき、手紙に「若い燕は池の平和のために飛び去っていく」と書いたそうです)。
 最初の低空飛行は宮沢賢治の「よだかの星」っぽい世界になりそうだけど、歌にするには時間がかかりそうです(まだ時間はあるのだから作ればいいのですが)。つば九郎の周辺では私は作れません。すると、ああ若いツバメ……。
 まあ、要するに教科書で習った斉藤茂吉のつばくらめ二つの歌が強烈過ぎて、絶句してしまったということでしょう。そうしておきましょう。

8. 袖
袖まくり鉛筆投げて「いけ、アツシ!」同僚アツシ五十六歳

 これまでいくつか作ってきた同僚短歌のモデルです。
 ボタンが弾けそうになりながら板チョコを頬張ったり、トイレの個室で(だけではありませんが)独り言をいったり、高鼾で仮眠したり、「岸」の「干」という字を「示」と書いたり、「払った」を「仏った」と書いたり、「肇」さんを「筆」さんと呼んだり、あれもこれも全部この人です。
 で、この人、よく一人遊びもするんです。鉛筆を転がして何かの対戦をするのですが、メモ用紙に書かれた対戦表を見ると、いつもアツシと誰かが戦っているようなのです。
 そんなアツシも今年五十五歳になります。五十六歳ではありませんが、音数の関係上、また父が五十六歳の時に生まれたという山本五十六との対比を考えて、一つ年齢を上乗せしました。数えということでお願いします。

9. 筍
石筍の伸びゆく時のそろそろと蕎麦すする子にたけのこ苦し

 成功はしていないのですが、いちおう序詞の試みです。石筍が成長するスローペース、そのイメージがゆっくり不器用にそばを食べる幼子の姿につながり、その子にはたけのこ(の天ぷら)はまだ大人の味であった、しかし、この子はたけのこのようにあっという間に成長していくであろう、ということなのですけど、一首に詰め込むにはすこし欲張りすぎました。
 失敗作ではあるとはいえ、なんだか子供を持ったような気分になってしまいまして、捨てるに忍びなくなってしまいました。

10. たらちねの【枕詞】
育てしが何か分からぬ闇であれ分からぬままにたらちねの母

 最後はあえて「たらちねの母は」と字余りにするべきかとも考えましたが、今月の原則にのっとり、あくまでも正規の音数にしておきました。
 別に犯罪者の母の歌というわけではありません。