本の覚書

本と語学のはなし

コーラン(下)/井筒俊彦訳

コーラン 下 (岩波文庫 青 813-3)

コーラン 下 (岩波文庫 青 813-3)

  • 発売日: 1958/06/25
  • メディア: 文庫

 結局最後まで印象は変わらないままだった。イスラムの文化の中に育った人間でなければ、イスラムの信仰を持つことは難しい。『コーラン』だけから、我々が改宗するための精神性を見出すことはできそうにない。
 井筒俊彦の『「コーラン」を読む』(岩波現代文庫)や『イスラーム文化』(岩波文庫)などを読めば、また違った見方もできるのかもしれないが。

人間的

 不信仰者は現世で容赦ない破滅を蒙るべきであり、仮にそれを免れたとしても(免れなかったとしても同じことだが)復活の時には地獄の責め苦で悶え苦しまなくてはならない。全編を通じてそのことばかりが強調されている気がした。
 では、アッラーを信じ、善行に励んだ者の行く天国とはどんなところだろうか。これが実に物質的で、人間的なのである。いや、『コーラン』はなにか厳めしい神の厳しい戒律で埋め尽くされたような聖典かと思っていたが(実際にはたいして戒律はない)、神の繰り言もマホメットの自己正当化も非常に人間的なのである。だから彼らのイメージする天国も、彼らの性向をよく反映しているのだ。

恐ろしい出来事 11-38[39]
 これ〔先頭に立つ一群の人々〕こそ(玉座の)おそば近くに召され、えも言われぬ幸福の楽園に入る人々。
 昔の人々が大部分で、後世〔マホメット時代の人々〕の者はほんの僅か。金糸まばゆい臥牀ねだいの上に、向い合わせでゆったりと手足伸ばせば、永遠の若さ享けた(お小姓たち)がお酌に廻る、手に手に高杯たかつき、水差し、汲みたての盃ささげて。この(酒は)いくら飲んでも頭がいたんだり、酔って性根を失くしたりせぬ〔天国の酒は現世の酒のごとき粗悪品ではない〕。そのうえ果物は好みにまかせ。鶏の肉なぞ望み次第。まなこすずしい処女妻は、そっと隠れた真珠さながら。
 これもみな己が(善)行の報い。もうそこではくだらない馬鹿話も罪つくりな話も聞かないですむ。耳に入るのは「平安あれ」「平安あれ」のただ一言。


 次に右組の人々、これはどうかと言うに、刺なしの灌木と、下から上までぎっしり実のなったタルフの木の間に(住んで)、長々と伸びた木陰に、流れてやまぬ水の間に、豊富な果物が絶えることなく、取り放題。
 一段高い臥牀ねだいがあって〔そこで天上の処女妻たちと歓を交える〕。我ら〔アッラー〕が特に新しく創っておいたもの、この女たちは〔地上の女のように両親から生まれたものでなく、この目的のために特別に新しく創った女である〕。特に創った処女ばかり。愛情こまやかに、年齢も頃合い。右組連中の相方となる。
 この(組にはいる者は)昔の人も大勢いるが、後世の人もまた数多い。

 そんな訳で、天国に行った女たちはどうなるのかよく分からないが、男たちはフーリーなる特製の美しい処女妻をあてがってもらい、ラマダーン月に断食した回数と善事を行った回数だけ交わることができるのである。しかも、なぜそんなことが重要なのか知らないが、彼女らは永遠に処女のままであるという。

好戦的

 テロなどはイスラムの本来の教えではないとよく言われる。それはそうなのだろう。『コーラン』には非常に長い解釈の歴史があり、私などの門外漢がどうこう言う筋合いのものではない。
 しかし、素人目にも、テロを正当化したい人が利用するに都合の良さそうな文言は数多く存在する。マホメットは宗教家であると同時に、政治家でもあり軍人でもあった。『コーラン』は彼の戦いの生々しい記録でもあるのだ。

ムハンマドマホメット) 4-7[6]
 さて、お前たち〔回教徒〕、信仰なき者どもといざ合戦という時は、彼らの首を切り落せ。そして向うを散々殺したら、(生き残った者を捕虜として)いましめかたく縛りつけよ。それから後は、情をかけて放してやるなり、身代金を取るなりして、戦いがその荷物をすっかり下ろしてしまう〔完全に終わる〕のを待つがよい。まずこれが(戦いの道というもの)。勿論アッラーの御心次第では、(こんな面倒な道を踏まずとも)一度に彼ら〔異教徒〕を打って仇を討つこともおできになろう。だが、お前たち〔人間〕を互いに(ぶつからせて)それを試みとなそうとのおはからい。アッラーの道に〔聖戦〕斃れた者の働きは決して無になさりはせぬ。きっと御自ら手をとって、その心を正し、前々から〔現世にいた時から〕知らせておいて下さった楽園にはいらせて下さろう。

アラビア語

 『コーラン』はアラビア語でなければ聖典とは言えず、翻訳は解釈に過ぎないとされる。キリスト教の現在の聖書の扱いとは逆を行く。
 しかし、元来イスラムの啓示がアラビア語で下されたのは、アラブ人にも理解できるようにとの特別の恩恵であると理解されていた。

わかりやすく 2[3]-4[5]
 (この)聖典は文句も一々わかりやすく、特にアラビア語クルアーンとしてものわかりのよい人々に下されたもの。(善人には)喜びの福音たよりを伝え、(悪人には)警告を発するもの。それなのに、大抵の者はよそ向いて、耳を貸そうともせず、「お前〔マホメットのこと〕がいくら誘っても、わしらとお前の間には垂幕がかかっている。勝手になんでもするがいい、わしらの方でも勝手にする」などという。

エス

 『コーラン』にはイエスについての言及も多い(旧約のそれとは比較にならないが)。しかし、私にはどうしてもマホメットキリスト教を理解していたとは思えない。マホメットの宗教への傾倒は、最初シリア・キリスト教の影響を強く受けたのではないかと言うけれど(商用でシリアに行くことはよくあったらしい)。

戦列 6
 マルヤム〔マリア〕の子イーサー〔イエス〕がこう言った時のこと、「これイスラエルの子らよ、わしはアッラーに遣わされてお前たちのもとに来たもの。わしより前に(啓示された)律法トーラーを確証し、かつわしの後に一人の使徒が現れるという嬉しい福音たよりを伝えに来たもの。その(使徒)の名はアフマド〔アフマドAhmadはマホメットの原名Muhammadとほぼ同義。この一節はマホメットの出現をキリストが預言していたことを示す有名な箇所〕」と。
 ところが彼〔イエス〕がいろいろのまごうかたない徴〔奇蹟〕を行って見せると、みな、「これはたしかに妖術じゃ」などと言うばかり。

 イエスマホメットの出現を預言していたという話が新約か新約外典に載っているのか、あるいはそのような言い伝えが存在したのか、私は知らない。恐らくはマホメットも啓示によって知ったことなのだろう。
 だが実際にイエスがそのようなことを言った可能性というのは、ほぼ無に等しい。『コーラン』を読んでいると、時々後出しジャンケンだと思うことがある。

マホメット

 不思議と『コーラン』にはマホメットの人間臭さがそのまま表現されていることがある。これについては、ひょっとしたら我々の方が考えを改めるべきなのかもしれない。
 宗教を追求することは決して人間であることを放棄することではない。天国で美女を抱きたいがために善行に励んだって、何が悪いのか。ニーチェの言うとおり、イエスは若すぎたのかもしれない。40を過ぎて啓示を受けたマホメットは、ずっと真理に近づいていたのかもしれない。

追放 6
 それから、アッラーが彼ら〔ユダヤ人〕の持ちものを戦利品として使徒マホメット〕だけにお授けになった件であるが〔今度の攻撃では戦利品はマホメットがひとり占めした〕、これは何もお前たちが馬や駱駝を駆りたてて手に入れたわけではない〔この戦いで駱駝に乗っていたのはマホメットただ一人だったと思う〕。とにかくアッラーはお心のまま誰をも使徒の権限の下に置き給う。アッラーは全能におわします。

 使徒が戦利品を独り占めしたところで、それが神の意志である以上どうしようもないではないか。仮に使徒がそれを拒もうとしたって、拒めるものではない。

私室 4-5
 汝〔マホメット〕が私室〔後世のハレムにあたり、妻妾たちのいる部屋を指す〕にいるところを、いきなり外から声かけたりするような者がおるが、あれは大抵みな気のきかぬ者ばかり。お前の方から出ていくまでじっと待っておればよさそうなものを。だが(これほど失礼な者どもをこらしめずにおかれるとは)アッラーはどこまで気のやさしい、情ぶかいお方であられることか。

 セックス中に声をかけるなど無礼千万ではないか。しかも神はこれほどの大罪をも赦して下さるのだ。なんとありがたいことか。

禁断 1-5
 これ預言者マホメット〕よ、女房どものご機嫌とりに、アッラーが許し給うたことを勝手に禁断にするとは何事か。と言うても、気のおやさしい、情ぶかいアッラーのことだから……〔マホメットは多数の妻に不公平にならぬよう順々に日を決めて行くことにしていた。或る日――それはハサフという妻の日だった――彼はハサフをそっちのけにしてエジプトの女奴隷マリアと交っているところをハサフに見つけられてしまった。恐縮した彼は、今後絶対にマリアに手を出さぬという誓いを立て、同時にハサフにはこのことを他の妻に話さないでくれと頼んだ〕。そのような誓いは反故にしてしまうようにとのお達しがでたぞ。アッラーこそはお前たちの保護者、全知至賢におわします。
 預言者が、ある事件〔第一節の註に書いた事件〕を女房の一人〔ハサフ〕に内緒ばなしとして洩らしたものを、彼女あれがあとで喋ってしまった〔アーイシャに話してしまった〕。それを今度はアッラーが彼〔マホメット〕にすっかり知らせて下さった。そこで彼は(その神のお告げをハサフに)話して聞かせた。勿論、全部話したわけではない、一部は黙っていたが。とにかく彼が彼女あれにその話をすると、彼女は(ぎょっとして)、「誰からそんなことお聞きになりまして」と言う。「何から何まで御存知の御神が教えて下さったのじゃ」と答えた。
 ところで、お前たち両名〔ハサフとアーイシャアッラーに改悛のまことをお見せ申すというなら(それは当然)。ともかくも二人とも心が傾いた〔二人ともマホメットにマリアを思い切らせようとした〕ことは事実だから。だが、もし二人共謀して彼〔マホメット〕に手向うつもりなら、よいか、あれにはアッラーがついておるぞ。それからジブリール〔天使ガブリエル〕もただしい信者たちも、いや、それだけでない、天使たちもみなあれの味方。
 もし彼がお前らを離縁してしまえば、神様がもっといい女房をお授けになるまでのこと。神に従順で、信仰ぶかくて、敬虔で、よく罪を悔い改め、よく神にお仕えし、よく断食の行を守る女たちを、人妻もあれば処女もあろう。

 神には娘がある、などと言われるのが何より嫌いな男尊女卑の神である。神は常に男の下半身の味方である。ましてそれが最愛の使徒の下半身であれば、どれほど卑劣な手段を使っても、どれほど汚い脅し文句を使っても、守り通すのが神の神たるゆえんである。