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聖母マリア/竹下節子

聖母マリア (講談社選書メチエ)

聖母マリア (講談社選書メチエ)

  • 作者:竹下 節子
  • 発売日: 1998/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 第一章、マリアの生涯。新約聖書の正典の中では、マリアについてほとんど触れられていない。しかし、外典を拠り所としたマリアの生涯は、カトリック世界で共通の了解事項とされてきた。そのイメージをたどる。

 第二章、マリアはどこからきたのか。マリアは元来神話的オーラが希薄であり、初期キリスト教神学で大きな存在感を持っていなかった。そのことが却ってマリアに様々な系譜が流入するのを容易にした。大地母神、イヴ、サバ(シバ)の女王、聖アンナ(マリアの母)などのイメージがマリアに重ね合わされ、あらゆる女性的、母性的、女王的なものを象徴しうるようになる。

 第三章、諸宗派とマリア。無原罪や被昇天を教義にしているのはカトリックだけだが、ギリシア正教でもマリアは大切にされている。プロテスタントも当初はマリア信仰を排除していたわけではない。ルターはマニフィカートの注釈を書いている。しかし、現在では一般にマリア信仰を受けいれない。カール・バルトはマリア信仰を異端だとし、「神学の貪欲な枝の悪性異常増殖」とまで表現した(私にはその言わんとするところがよく分かる)。意外なところでは、コーランにもマリアは描かれており、イスラムでも人気のキャラクターであるという。

 第四章、民間信仰の中のマリア。民間信仰の中では、マリアは三位一体の中心に位置したり、死者を守ったり(アヴェ・マリアでも「私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください」と唱える)、あるいは髪の毛が聖遺物として崇められたり、まるでキリスト教の主人公はマリアであるかのような観を呈してゆく。

 第五章、ドグマ狂騒曲。カトリックには四つの公式教義がある。初期の二つが神の母と処女受胎であり、近年認められたのが無原罪と被昇天である。第二バティカン公会議ではプロテスタントとの歩み寄りを目指して、殊更マリアに焦点が当てられることはなかったが、マリア信仰の篤いヨハネパウロ二世が教皇になって以来、マリア熱に再び火が付き、第五のドグマを求める動きが出始めた。「処女マリアは共同贖い主で、すべての恩寵の仲介者で、神の民の弁護人である」というのがその内容である。これが認められるようなことがあれば、むかし代父のマリア熱に背を向けたように、私はカトリックのシンパですらなくなるだろう。

 第六章、奇跡を起こすマリア。「御出現」は今の時代にもあちこちで報告される。仮に教会に認定されたとしても信じる義務はないが、著者はけっこう律儀に信じているようで、カトリックプロテスタントの結びつきに有効であるとまで無邪気に考えているところがある。この辺りから、読んでいて気分が悪くなってきた。

 第七章、マリアの七つの顔。著者が見たマリア像のエッセイのようなもので、全くの蛇足であるようにしか思えない。