本の覚書

本と語学のはなし

スピノザ 人と思想58/工藤喜作

 キリスト教への興味が再燃し、聖書学を中心に神学をかじってみたくなった。しかし、護教的な言説には満足できないかもしれない。バランスを取る必要があるだろう。それと対抗させるために私が読みたいと思うのは、道元スピノザだ。
 スピノザはオランダ生まれのユダヤ人。日本が鎖国を完成し、ヨーロッパの国の中ではオランダのみと交通を持った頃の人である。その哲学は一般に汎神論と言われるが、神の遍在に恍惚となるというような単純な神秘思想ではない。
 後に破門されたとはいえ、ユダヤ教の教育を受けた人でもある。聖書の歴史的、学問的解釈の先駆者とも言われる。キリスト教徒とも広く交わっていたせいか、神とこそ認めてはいなかったようだが、イエスモーセ以上に評価している。

 最近職場には、漢詩に替えてスピノザの邦訳を持って行っている。漢詩をめぐっては甚だ煩わしいことがあるし、ていねいに漢和辞典を引きたいと思うようになったという事情もある。ただ、スピノザの古めかしい訳をもっぱら理性を働かせて読むのも、職場の読書に似つかわしいようである。

 スピノザの著作は基本的にラテン語で書かれているが、ごく一部オランダ語でしか読めないものがある。俄かにオランダ語を学び始めたのは、実はスピノザを読むためであった。どうやら原典が入手できそうなのである。
 ちなみに、スピノザの言語事情を『スピノザ 人と思想58』から書き抜いておくと。

 スピノザはエンデンのもとでラテン語を自分のものにすることができた〔エンデンの学校に入ったのは二十歳の頃〕。彼はラテン語以外にいかなる言語をものにすることができたのであろうか。エンデンはギリシア語もよくしたが、スピノザギリシア語までは手がまわらなかったらしい。このことは、のちの『神学・政治論』において彼が新約聖書についてはほとんど触れることのなかった原因ともなっている。彼は日常生活においてはポルトガル語を話し、「生命樹学院」においてはスペイン語を使用していた。そしてオランダに生まれたのだからオランダ語は自由だったと思われがちである。だがこれはあまり得意ではなかった。なるほど彼はオランダ語の文章を読むことはできたが、書くことにはあまり自信がなかった。彼は手紙を書くためにオランダ語の規範書簡集を購入しているほどなのである。彼の処女作『神・人間そして人間の幸福に関しての短論文』(略して『短論文』という)はオランダ語で書かれているが、これは彼がオランダ語で書いたものではない。彼の書いたラテン語の原文を友人がオランダ語に翻訳したものである。その他、イタリア語、フランス語、ドイツ語も少しできたらしい。しかし英語は全然駄目であった。(p.52)

 スピノザが日常生活にポルトガル語を用い、学院などの公的生活においてスペイン語を用いたのは、スピノザらの父祖が元来スペインに住んでおり、後迫害にあってポルトガルに逃れ、そこから更にオランダに渡ったためである。スピノザの名も、カスティリャの町エスピノサ・デ・レス・モンテロスに由来している。
 また、ユダヤ人学校で施された教育はヘブライ語のそれであったから、当然ヘブライ語もできた。彼の著作の中には『ヘブライ語文法要諦』というのもある。

 私の頭はもうだいぶ耄碌してしまって、哲学を学ぶには手遅れなのかもしれないが、スピノザならまだぎりぎり理解できそうな気がする。幸い著作は全部合わせても大した量にはならない。繰り返し読んでいれば、それなりに糧となりうるまで咀嚼されるのではないか。根気が続いてくれればよいが。