本の覚書

本と語学のはなし

中国名詩選(上)/松枝茂夫編

中国名詩選〈上〉 (岩波文庫)

中国名詩選〈上〉 (岩波文庫)

  • 発売日: 1983/09/16
  • メディア: 文庫
 漢詩というと唐詩ばかりを指すのが常だが、この三分冊のシリーズでは、中国詩の全時代を扱っている。上巻は『詩経』から漢魏の時代まで。作者名に固有名詞はほとんど出てこない。屈原とか曹植とか阮籍(好きな客は青眼、嫌いな客は白眼をもって迎えたという、竹林七賢の一人)らの名が見えるばかりだ。
 したがって、民謡的な詩も多い。後の近体詩の切り詰められた表現を可能にするのは、しかし、この間の長い伝統の中で定着した語にまつわるイメージでもある。この本に採られた作品くらいは、常識として知っておかなくてはならないのだろう。

 無名氏の作の中でもとりわけ印象的なのが、姑に追い出された嫁が、最後には入水し、それを聞いた元の夫も首をくくるという、悲しい長篇「孔雀東南飛」である。姑が息子に対して放った言葉を引用しておく。

 何 乃 太 區 區    何ぞ乃ちはなはだ区区たる。
 此 婦 無 禮 節    此のつま 礼節無く、
 擧 動 自 専 由    挙動 みずから専由なり。
 吾 意 久 懐 忿    吾が意 久しく忿いかりを懐く、
 汝 豈 得 自 由    汝 に自由なるを得んや。
 東 家 有 賢 女    東の家に賢女有り、
 自 名 秦 羅 敷    自ら秦羅敷しんらふと名づく、
 可 憐 體 無 比    可憐 たい たぐい無し
 阿 母 爲 汝 求    阿母あぼ 汝が為に求めん、
 便 可 速 遣 之    便すなわち速かにれをるべし、
 遣 之 愼 莫 留    之れを遣り慎みて留むることかれ。


「どうしておまえは、そんなに意固地なのだ。あの女は礼儀知らずだ。勝手放題なふるまいをしおって。もう前から、わたしの胸は煮えくりかえっておる。おまえにも勝手はゆるしませんぞ。ほれ、この近所の家にかしこい娘がいる。自分で秦羅敷しんらふといっておるほどの器量よしじゃ。可愛らしいことといったら、あんな様子の良さはまたとないぞ。母が、おまえのためにもらってやろう。だから、あの女は早く出しておしまい。よいか、出すのですぞ。ここに置いてはなりませんぞ。」