本の覚書

本と語学のはなし

『マルテの手記』


リルケ『マルテの手記』(大山定一訳、新潮文庫
 大学に入った頃、ドイツ語同好会だか研究会だか、そんな名前のサークルに顔を出していた。同じ新入生の中に、色白でもち肌で少しぽっちゃりしていて女性的な物腰のクラシック音楽マニアがいて、私なんかとは全然育ちが違う上流階級のオーラを発していたのだけど、その彼が『マルテの手記』の大ファンだとかで、既に卒論で扱うことを決めていたほどであった。その時私がどう感じたかは覚えていない。ただ、何か先を越されたような気がしたのではないか。ルソーの『孤独な散歩者の夢想』に入れ込み、高校の美術の授業で描いた絵に同名のタイトルをつけたことがあったくらいだから、私も『マルテ』は直ぐにも読みたい本のひとつに数えていたはずなのである。しかし、彼と話をして以来、なぜか今に至るまで封印がかけられたままになった。それが当時の私の偏屈であり、弱さであったのだ。
 一昨年の2月、退職直前に調子の悪さを払拭すべく読んだのが、リルケの『神さまの話』(新潮文庫)であった。*1ずっと気になりながらも手を出せずにいたリルケであったが、ようやく外堀を埋めるように、やさしい語り口のこの本を読んだのである。それから本丸(かどうかは分からないが)に辿り着くまで、なお2年以上を要した。私の読書は、学生時代の負債を、膨大に膨れ上がった利子をつけて返済しようとしているにすぎないのかもしれない。
 しかし、これはやはり学生時代に読むべきだった。今でも胸の痛みを感じはするけど、最も切実に読むことができた時期を私は既に逃してしまっている。そのうえ、その痛みを抱えて生きることで得られたはずの果実を、私はことごとく実らせずに過ごしてきたのである。
 これでリルケから退散するべきか。だが、手元にもう1冊持っている。森有正が訳した(フランス語訳からの重訳)『フィレンツェだより』(ちくま文庫)である。森がリルケと邂逅したのは今の私と同じ程の年齢の時である。それでも森は翻訳までせざるを得ないほどの衝撃を受けた。生涯折に触れてリルケに立ち戻った。私がリルケを判断するのはまだ早い。もう少し読んでみなくてはならない。


マルテの手記 (新潮文庫)

マルテの手記 (新潮文庫)

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