本の覚書

本と語学のはなし

『熊 他三篇』


●フォークナー『熊 他三篇』(加島祥造訳、岩波文庫
 私の読書遍歴には大きな穴がいくつも開いていて、文学部の出身だなどとは恥ずかしくて大きな声では言えないのだけど、これまでフォークナーの1行たりとも読んだことがないというのも、本来ならば秘密にしておきたい重大な瑕疵の1つである。そこで入門編にと岩波文庫の『熊 他三篇』を読んでみた。
 狩猟物語は日本人にはとっつきにくいかもしれないと思ったが、これは実に素晴らしかった。ヘミングウェイの『アフリカの緑の丘』を読了後その本を壁に投げつけたといい、現在では山暮らしのタオイストになっているという加島祥造が、『熊』を傑作として翻訳しているのも故のないことではない。
 少年アイクはインディアン酋長の血を引くサム・ファーザーズをメンターとしながら、狩りを学び森を学ぶ。狩りは単に征服欲とか自己顕示欲ではない。ある時少年はオールド・ベンと呼ばれる熊に会うため森に入るが、汚れによる妨げを感じ、銃を捨て、ハンターであるという驕りも捨てる。しかし、それでも不十分であった。

それから彼は自分の決心を、もっと徹底して実行した。時計と磁石だ。これらがあるので、まだ自分は汚れていたのだ。かれは作業服から鎖についた時計と、革紐についた磁石を取り去り、茂みに掛け、そばに棒を立てかけてから、森の奥へと入っていった。(p.36)


 実際彼らの狩りは、時に戯れでしかない場合もあるが、敬意を抱くべき相手に対してはほとんど儀式のようであり、射止めることなど考えもしないことさえある。だが、それでも彼らは狩りをしているのであり、狩りをするのは1年の内のわずか2週間であり、決して森の中へ溶け込み森と同一化していくわけではない。そこにははっきり差異がある。
 同様にして(と同列に扱っていいかどうかは分からないが)、狩りに携わる人々には、白人があり、黒人があり、インディアンがあり、それらの血も混じり合っており、インディアンの血の中にも貴賤があり、白人もまた南北戦争に負けた傷を負う人々である。小説であるから性急に何かが解決するわけではないし、「たぶん」という言葉を最上とする彼らにその意志があるわけでもない。ただ時代の変化が示唆されるだけである。
 フォークナーはまだまだ読まなくてはいけない。長編の中で格闘すべきものがある。


 さて次は、これもまた隠れてこっそり読むべきだったかもしれないが、プルースト入門に光文社古典新訳文庫の『消え去ったアルベルチーヌ』を始める。

熊 他三篇 (岩波文庫)

熊 他三篇 (岩波文庫)