本の覚書

本と語学のはなし

『翻訳の原点 プロとしての読み方、伝え方』


●辻谷真一郎『翻訳の原点 プロとしての読み方、伝え方』(NOVA)
 タイトルの「原点」に著者の自負を感じる。
 上手に訳すにはどうしたらいいか、などというのは最低限のことをきっちりやってから考えるべきことであり、しかも、最低限のことをするだけで、ほとんど完成形に近い訳文を得られるはずだというのが、信念のようである。
 おそらくは誰でも感じているだろうが、はっきり翻訳のための概念として取り上げることのなかった「情報量」に着目する。知っているつもりの単語でも、情報量が小さい限りはそこから文意を確定してはならない。情報量の大きなものから、小さいものの意味を導き出す。文章の原風景をしっかり見定めて、そこに盛られたデータを過不足なく日本語に移す。移すのはデータであって、形式ではない。そのデータを日本語に盛る限り、形式は日本語に従うのである。
 もちろん、文学作品のように、形式の内に情報を含むような文章までを射程に収めるには限界があるし、その自覚もある。しかし、あくまで基本はデータであり、形式は二の次なのだ。それを勘違いしている翻訳者のなんと多いことか。
 当たり前といえば当たり前なのだけど、この人の場合は多言語感覚によって磨きをかけた感がある。ヨーロッパの全公用語で医療翻訳をしている人なのだ。私は産業翻訳を生業としようとしているので、この人の言うことは納得がいく。ただ、文学的な感性が微塵もなさそうなのには、閉口する。