本の覚書

本と語学のはなし

本・雑誌

島崎藤村『破戒』(新潮文庫


 中学時代の懐かしい本。
 社会的なテーマは好きではなかった。が、ときどき苦手なものを敢えて読まねばならないと思い立つことがあって、今考えるとどうして挑む気になったのか分らないのだが、島崎藤村の『破戒』やら大岡昇平の『俘虜記』やらを読破して、時折は立派な中学生だったのである。
 『破戒』には圧倒された。それが何だったのかよくは覚えていない。人道的な使命に目覚めたわけでもないし、我が身に置き換えて激しく憤ったわけでもないと思うのだが、ともかくも圧倒されたのだ。
 藤村の文章にはくせがあるという思い込みがある。今見ると、決して読みにくい文体ではない。「握飯」を「むすび」と読ませるなんて、とは思うけど、たいていの漢字には振り仮名が振ってあるので問題ない。現代文学が落ち着いたら、取り掛かろう。


Newsweek」の定期購読料を払う。
 時事雑誌ではなくて、ペーパーバックで楽しく英語を学ぼうと思っていたので継続しないつもりだったが、最近の英語学習は職場の昼休みだけ。職場での頭は時事モードである。「Newsweek」を読み続けることにした。と書くと、英語の達人のようである。読み続けることにしたのではなくて、読めるように努力し続けることにした、が正しい。
 「Le Monde Sélection Hebdomadaire」の定期購読料も数日前に払った。
 家ではフランス語とドイツ語のみ。平日は文学、休日は哲学という試みをしていたが、曜日によってメニューを変えるのが苦手でうまくいかない。毎日同じことを繰り返したいタイプなのだ。食事なんかも毎日同じメニューで一向に構わない。それで、ドイツ語はカントのみ。フランス語はレヴィナスカミュと新聞。


 父はリハビリ中心のメニューをこなすため、転院することになった。ベットが空き次第ということなので、1、2週間後のことではあるけれど。