本の覚書

本と語学のはなし

愛せざるを得ない【ラテン語】

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

  • 作者:Augustine
  • 発売日: 1912/01/15
  • メディア: ハードカバー
告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

 アウグスティヌス『告白』第4巻第2章2より。

in qua sane experirer exemplo meo, quid distaret inter coniugalis placiti modum, quod foederatum esset generandi gratia, et pactum libidinosi amoris, ubi proles etiam contra votum nascitur, quamvis iam nata cogat se diligi.

わたしはかの女を知って、子を産むために結ばれる婚姻の契約と、情欲的な愛による結合との間に何という大きな相違があるかを、ほんとうに身をもって経験した。愛欲で結ばれた場合、子は親の意に反して生まれるのであるが、生まれたからには愛せざるを得ない。 (p.93)

 「愛せざるを得ない」というところの英訳。

yet being born, they even compel us to love them.


告白録 (キリスト教古典叢書)

告白録 (キリスト教古典叢書)

 このあたりの事情について、宮谷宣史の訳書の注釈を書き抜いておく。

(5) アウグスティヌスは371年、ある女性(名前は明らかにされていない)と同棲し始める。正式な結婚ではなかったが、真面目な関係で、15年間共に暮らす。
(6) 372年、アウグスティヌスは同棲していた女性との間に男児を得、18歳で父親になる。名前はアデオダトゥス。この箇所からも分かるように、彼はその誕生を望んでいなかったが、生まれてからは愛して育てる。アデオダトゥスは390年、18歳で亡くなる。その年、アウグスティヌスは息子との対話を本にまとめて出している(『教師』参照)。(p.536)

 アデオダトゥスという名前は、神から与えられたものという意味であろう。しかし、この頃のアウグスティヌスはまだキリスト教に回心していたわけではなく、修辞学を教えるマニ教徒であった。

自分を破滅の淵にみちびくもの【ラテン語】

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

Confessions, Volume I: Books 1-8 (Loeb Classical Library)

  • 作者:Augustine
  • 発売日: 1912/01/15
  • メディア: ハードカバー
告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

 アウグスティヌス『告白』第4巻第1章1より。

quid enim sum ego mihi sine te nisi dux in praeceps?

あなたが存在しなければ、わたしは自分を破滅の淵にみちびくものでなくてなんであろうか。(p.92)

 ラテン語とドイツ語はしばらく新約聖書の原典講読の際に、翻訳を参照するにとどめていた。久し振りにアウグスティヌスとタイセンを読んでみた。
 塾で働くことはないだろうと考えるようになって、参考書に対する意欲がほとんど湧かなくなった。数学だけはしばらく続けるかも知れないが、それ以外は休止する。
 今後の中心は、聖書学とキリスト教をめぐるあれこれ(歴史とか文化とか思想とか言語とか)であり、英語とフランス語である。

太陽が地上に昇ったとき【ヘブライ語】

Biblia Hebraica Stuttgartensia

Biblia Hebraica Stuttgartensia

  • 作者:Elliger, K.
  • 発売日: 1990/06/01
  • メディア: ペーパーバック
 創世記19章23節。

הַשֶּׁ֖מֶשׁ יָצָ֣א עַל־הָאָ֑רֶץ וְלֹ֖וט בָּ֥א צֹֽעֲרָה׃

 テストである。
 聖書のテキストはネット上でも見ることが出来る。聖書の原文をブログに引用する際、これをコピーして済ませることが出来ればとても楽である。
 ギリシア語テキストは先日試してみた。特に問題なさそうである。ヘブライ語は文字と母音記号の他に、分離符や結合符まで付いている。これもきちんと表示されるのだろうか。*1


 新共同訳。

太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。

 口語訳はちょっとニュアンスが違う。

ロトがゾアルに着いた時、日は地の上にのぼった。

 原文は「太陽が地上に昇った」と「ロトはツォアルに着いた」がアンドに相当するヴェという接続詞で結ばれているだけの単純な文である。
 しかし、この接続詞は恐ろしくたくさん使われるので、ほとんどどんな意味をも表しうるし、何の意味もないこともあり得るのだと言いたくなる。新約聖書でもしばしばカイが多用されるのは、ヘブライ語の癖が出るためである。

*1:追記。分離符や結合符も表示された。大丈夫なようである。