本の覚書

本と語学のはなし

手強いねじの回転


 『ねじの回転』の英語は手強い。その上、日本語で小説を読んでいた間ほぼ中断していたものだから、ほとんど進んでいない。今日はよく頑張った方だ。
 行方訳は平明簡素、ときに説明的になりすぎているきらいがあり、原文の複雑さや分かりにくい言葉遣いは、ほとんど跡をとどめていない。

This was not so good a thing, I admit, as not to leave me to judge that what, essentially, made nothing else much signify was simply my charming work. (p.18)

もう侵入はないだろうというのは結構でしたが、そんなことよりもずっと結構なことがありました。わたしには教師としての素晴らしい仕事がありましたから、それ以外のことは大きな問題ではなかったのです。(p.175)

I considered; I could meet on this, without scruple, any innocence. My need to respect the bloom of Mrs. Grose’s had dropped, without a rustle, from my shoulders, … (p.21)

わたしは考えました。もう分かってしまったのなら、隠し立てする必要はない、遠慮しないで、無邪気な相手に真実をぶつけよう、そう思いました。彼女は何も知らないのだから、そのまま明朗なままにしておいてあげようという配慮は霧散しました。(p.182)


 ヘンリー・ジェイムズのテキストの問題に関してはまったくの無知だが、私が見ているのと行方が翻訳に使用しているのとでは、すこし文面が違うのではないかと思うことがある。例えば翻訳の173ページには「一種の精神革命」とあるけど、それに対応するDoverの17ページの個所は ”an inward resolution” となっている。たんなる見間違えとは考えにくい。


 先日応募した工場からは、書類選考で不合格になったとの手紙が来た。
 塾にはそろそろ夏期と2学期の勤務希望を出さなくてはならない。継続してしまうと、また当分就職活動ができなくなる。2学期の半ばから活動を始めても、12月までの残存期間が就職を妨げる一因となる。悪循環を断つためにも、ここで辞めるべきか。