Platon et Aristoteles et omnis in diversum itura sapientium turba plus ex moribus quam ex verbis Socratis traxit; Metrodorum et Hermarchum et Polyaenum magnos viros non schola Epicuri sed contubernium fecit. (6.6)
プラトーンもアリストテレースも、別々の道を進む賢者の群れの誰も、みなソークラテースの言葉よりも人柄から多くのことを受け継いだ。メートロドーロスやヘルマコスやポリュアイノスを偉人にしたのは、エピクーロスの学校ではなく、彼と寝起きをともにしたことだった。(p.17-18)
セネカの書簡6を読了する。
「人間は耳よりも目の方に大きな信頼を寄せる」という。ただ書かれた言葉を読み、講義を聴くだけでは得られないことが、師との交わりの中で目に焼き付けられる。そのような師を持つことは幸福であろう。私のように独学しかできない人間には、決して至り得ないところがあるのである。
「学ぶ喜びは教えることの中にもある」という。共有する友がいないのであれば、いかなる知恵であっても拒否をする。そのような友を持つことは幸福であろう。私は果たして何のために学んでいるのであるか。空しい独り遊びではないのか。
だが、最後にヘカトーンの言葉が引かれる。彼は自分自身の友人になりはじめたことを喜んでいる。セネカもそれは大変な修養であるとほめたたえる。「彼はもう決して一人になることはない」。そしてまた、「このような人物は、すべての人の友人」なのである。私は万人の友人であり得るほどに、自分自身にとっての友人であるのだろうか。